私もあなたも炒めるときは
炒めすぎないようにしてください いくら言ってもいつも火加減いい加減 でも思い切りよく歯切れ良く 私もあなたも炒めるときは あなたをおいしく食べたいでしょう 重ねて懇願いたします。 私もあなたも炒めるときは 炒めすぎないようにしてください (終わり) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※音源を今月リリースします。データ販売もあります。 ご予約はこちらから。 https://kuzetakaomi.weebly.com/information.html コンセプトなどはこちらから。 https://kuzetakaomi.weebly.com/blog/kind-of-red ほんと最高のものが出来たので是非。 今月ニューアルバムをリリースします。 タイトルは「KIND OF RED」 予約受付を開始しました。 諸事情で正式な日程が確定できていませんが今月中には必ずお届けします。 11月30日までに購入して頂けると、2曲、アルバムに入らなかった曲をプレゼント。データ販売有。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これは、言音(ことね)という、現代音楽家の市川ロ数(イチカワロスウ)と、詩人の私で活動しているユニットの新作です。 言葉と音のまだ自分たちも聞いたことが無い着地点を探っています。 同じ世界の中の異なる世界を生きる私たち。 それでもなおどこかの場所で寄り添えないか。 同じものの中に宿る全く違う世界。 同じ事象について話をしていても、 同じ問題意識を持てず、バラバラのことを話す現代。 同じものの中から何を見出すか、 何かを見出したとして他の別のものを見出した人を攻撃しないでいたいな。 誰も彼も血を流さないように、最低限、寄り添える場所として、赤の気分が、このKIND OF REDが機能したらいいなと思います。 ------------------------------------------------------------------------------ 音と詩の紫陽花、前作poetrangea から4年。 フラクタルな詩の器を経て、4年かけて紡がれた久世の新作 「KIND OF RED 」は「世界の全て」 光が全て重なった白の世界で同一平面上にある 見えない赤の世界を描き出す。 世界の形。私の形。 予約はこちらから↓ Information こちらのページでは、音楽と本、二つの久世の詩の形を販売しています。 kuzetakaomi.weebly.com コンセプトなどはこちらから KIND OF RED について 古来日本では、現在のアカ(赤)のことをシロ(白)と、 シロのことをアカといっていたそうです。... kuzetakaomi.weebly.com #KINDOFRED 詩が始まります。 楽しんで頂けますように。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 窓の下から窓を拭いている人を見た 始まりはまだ完全に暗くなる前の、 昼が身体を夜に渡す短い時間の出来事。 月はもうはっきりと出ている時間。 窓の下から窓を拭いている人を見た。 黙々と作業をしている姿に見とれていた。 向こうはこちらに気づいていない。 もくもくと窓を拭いているあの人は、 世界と自分との境界線を 拭くことではっきりと提示しているみたいだった。 「ここからはお前の立ち入れない場所」と、 空気の中にやけにくっきりと透明な印をつけている。 世界中に蔓延しているウィルスが いやでも、 自分と何かとの境界線を浮き彫りにする。 透明でそこに在る窓。 僕はしばらくそこでその窓を眺めていた。 もう昼の気配は完全に消えていて。夜になっていて。 きれいになった窓とその周りを包み込む夜。 きれいになった窓に浮かび上がる生活の風景。 境界線は夜の時間とともに闇に溶けて柔らかく融解し、 むしろ、僕に対して、夜の中、一つだけ開いている入り口に見えてきた。 狡猾で卑しい透明な壁とやさしい透明な入り口。 窓がある 窓を拭いた それを見た それだけのことなんだ。 (終) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー お礼ここまで読んで頂い方どうもありがとうございます。 SNS上で詩を見かけたらシェア頂いたり、動画を再生頂いたりすると大変ありがたいです。 あまり名前がない活動をしていると広まりにくいので、皆様の協力が必要です。涙。 何にせよ、物凄く励みになります。 どんどん描いていきます。 ここは僕の足跡だった
半分水を飲む (謎夜 11201夜目より抜粋) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※謎夜も入っている音源を今月リリースします。 ご予約はこちらから。 https://kuzetakaomi.weebly.com/information.html コンセプトなどはこちらから。 https://kuzetakaomi.weebly.com/blog/kind-of-red 円柱の塔をよじ登る 塔は夜で出来ている 窓から中に入る ここの壁を叩くとこの先にまた塔が生まれる その塔を中から登ると私は蜜になる。 (謎夜4481夜目より抜粋) ------------------------------------------------------------------------ ※謎夜も入っている音源を今月リリースします。 ご予約はこちらから。 https://kuzetakaomi.weebly.com/information.html コンセプトなどはこちらから。 https://kuzetakaomi.weebly.com/blog/kind-of-red 【重大なお知らせ】
今月ニューアルバムをリリースします。 タイトルは「KIND OF RED」 予約受付を開始しました。 諸事情で正式な日程が確定できていませんが今月中には必ずお届けします。 11月30日までに購入して頂けると、2曲、アルバムに入らなかった曲をプレゼント。データ販売有。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これは、言音(ことね)という、 現代音楽家の市川ロ数(イチカワロスウ)と、詩人の私で活動しているユニットの新作です。 言葉と音のまだ自分たちも聞いたことが無い着地点を探っています。 同じ世界の中の異なる世界を生きる私たち。 それでもなおどこかの場所で寄り添えないか。 同じものの中に宿る全く違う世界。 同じ事象について話をしていても、 同じ問題意識を持てず、バラバラのことを話す現代。 同じものの中から何を見出すか、 何かを見出したとして他の別のものを見出した人を攻撃しないでいたいな。 誰も彼も血を流さないように、最低限、寄り添える場所として、 赤の気分が、このKIND OF REDが機能したらいいなと思います。 ------------------------------------------------------------------------------ 音と詩の紫陽花、前作poetrangea から4年。 フラクタルな詩の器を経て、4年かけて紡がれた久世の新作 「KIND OF RED 」は「世界の全て」 光が全て重なった白の世界で同一平面上にある 見えない赤の世界を描き出す。 世界の形。私の形。 予約はこちらから↓ https://kuzetakaomi.weebly.com/information.html コンセプトなどはこちらから KIND OF RED について 古来日本では、現在のアカ(赤)のことをシロ(白)と、 シロのことをアカといっていたそうです。... kuzetakaomi.weebly.com #KINDOFRED ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 窓・・・最初に 「窓」という詩を公開します。 これは少し独特の技法を使ったものです。 殆どの行が一行一行普通に読むこともできるし、 前の行と次の行の頭を繋げて違う文として読むこともできる ちょっと不思議な文章です。 例えば、 印象的に服がぶら下がっている 窓を外から見る 僕は水を飲む 夜 少し冷たい とあるのですが、 印象的に服がぶら下がっている窓を外から見る 僕は水を飲む夜 少し冷たい とも読める。という具合です。 同じ詩の中に別の詩が隠されているみたいな技法です。 では。楽しんで頂けますように。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 窓 印象的に服がぶら下がっている 窓を外から見る 僕は水を飲む 夜 少し冷たい 人が横を通る 右を僕は行く ゆっくりと 木の先端が光る 僕を写す月をみる 今日月が 身体を渡る 石膏のような月である 僕の右の眼に月が入って 笑う 月が 石膏のような 神経の奥がずきずきと痛むような 僕の中で 抜けなく笑う (終わり) ふかふかの沼に包まれる感覚を知っているかな? 田んぼに足を突っ込んだことがあれば、それを思い出してもらえると助かる。 それがなければ海や川に全身浸かっている感覚が一番近いかな。 身体を包む優しい沼があってだな。 そこに全身を沈めるんだ。 水よりも密度のある沼の泥が全身を覆う。 わかるかな?1mmの隙間もなく、身体をふかふかと優しく覆ってくれるんだ。 自分の全ての場所が分け隔てなく覆われている気持の良さはいいようのないものなんだ。 覚えてないけど、母親のおなかの中にいるような安心感とでも言えばいいのだろうか。 その沼に入るとね。先端部分から少しずつ、 なんだか分からない生き物にたべられていくんだよ。 それが不思議と怖くないんだ。血は出てるのかわからないけど、痛くはないかな。 でも自分が減っていっているのがわかるからね。少しずつ。 たまに恐怖のようなものは身体をよぎることはあるよ。 でもふかふかの沼に身体が包まれているからあまり気にならないんだ。 少しずつ減る体を減っても泥が優しく覆ってくれる。 わかるんだよ。自分の身体がどれくらい減ったか。足はもう太ももくらいしかないな。 でも泥があるから自由だな。手はもう肩くらいまでしかないな。 でも泥があるから自由だな。 意思が伝達できるんだよ。 泥があることで、足や手の指があったころと同じように 泥が自分の意思を反映させて世界に伝えてくれるんだ。 頭だけになったら、そこでしばらく、身体は減らなくなるんだ。 頭だけになって、ふかふかの優しい泥に包まれて、身体が無くても困らなくなって。 むしろ前より密接に世界とつながっている感覚があって。 手を伸ばそうと頭が思ったら身体があるときは手だけ伸びるわけだけど。 今は地平線ごと星一つ分自分の身体になった気分でね。足もそうなんだ。 泥がね、血や内臓の代わりをしてくれるから死なないよ。 最後に頭も少しずつ食べられて自分の形はなくなるんだけど。 それは死ではなく世界との同化なんだ。 私はセカイになったんだ。ちゃんとそう思えるんだよ そして空気になって、ここで、情報として浮かんでいるんだよ。 気楽なもんさ。 一族のなかで最後のジョグボング教徒だった祖母が死んだ。 ジョグボング教の葬儀(ミビジブュ)の本当の始まりは 参列者が口の中に水を含むところから始まる。 水は飲まずに口に含み続けておくのが決まりだ。 ジョグボング教の聖典に乗っ取り、葬儀の日は、 男も女も肌のなるべく見えない、えんじ色の布に身を包む。 基本的に故人の家で執り行われ、到着すると、その家で一番大きな部屋に通され、来たものから順に円をつくるように並んでいく。 一重の円で収まらない場合は内側に二重、三重と円を重ねていく。 参列者は話をしてはいけない。目を合わせてもいけない。 これはこの場にいた人間が、故人を通して、現世でも来世以降でも「縁を重ねる」というところにかかっているらしい。 全員が揃うと、クジを引く。(ジョグボング教でいうところのサミゥグー) そこで口に水を含み目隠しをし、葬儀が始まるのだ。 クジは、順番を決めるためのものである。 1番手の準備ができると、合図とともに全員が目隠しを外す。 1番手は、先ほどの赤い服を脱ぎ捨て、 我々の感覚では、場に似つかわしくない滑稽な恰好をしている。 そして、少し間を置き、変な声を出し身体を動かし始めた。 場に居るものが耐え切れずに水を口から吐き出す。 人にかかるもお構いなしだ。 どんどんみんな口から水を吐き出していく。 それを、場に居る人間の数だけ繰り返す。 踊るモノ、屁をこぐもの、参列者を強引にくすぐるもの、 故人の秘密を暴露するもの。 みんな笑いながら泣いている。 消費された水の量が多ければ多いほど、 その葬式は良い式だとされている。 もちろん、人間である。 自分の番が来ても泣いてばかりで何もできないものもいる。 そういう時はそいつに思い切りみんなで口から水をかける。 みんながその涙を隠すように、みんなも自分の涙を隠すように、 みんな泣きながら笑っている。 最後に私の大好きなジョグボング教の経典の一節を紹介しよう。 あなたがほんとうに悲しいときに、楽しく笑って流した涙があれば、それは誰かのいつかの涙を減らすだろう。 本当に悲しいときは悲しみで終わりにしないこと。 悲しいことは悪くなくても。 私は教徒ではないが、この言葉は子供に伝えようと思っている。 祖母の式はとてもいい式だった。それは断言する。 私はびしょ濡れでホテルに帰った。 (終) 5000が来た 5000弾む 5000歪む 5000憂う 5000は100を9に上げた 4900が居た 4900まだ憂う みんなに100ずつ挙げてって 5000はいつも0になる (謎夜 4900夜目より抜粋) |
詩描いた詩を載せていきます。過去のものも載せていきます。 アーカイブ
1月 2021
カテゴリ |