一族のなかで最後のジョグボング教徒だった祖母が死んだ。 ジョグボング教の葬儀(ミビジブュ)の本当の始まりは 参列者が口の中に水を含むところから始まる。 水は飲まずに口に含み続けておくのが決まりだ。 ジョグボング教の聖典に乗っ取り、葬儀の日は、 男も女も肌のなるべく見えない、えんじ色の布に身を包む。 基本的に故人の家で執り行われ、到着すると、その家で一番大きな部屋に通され、来たものから順に円をつくるように並んでいく。 一重の円で収まらない場合は内側に二重、三重と円を重ねていく。 参列者は話をしてはいけない。目を合わせてもいけない。 これはこの場にいた人間が、故人を通して、現世でも来世以降でも「縁を重ねる」というところにかかっているらしい。 全員が揃うと、クジを引く。(ジョグボング教でいうところのサミゥグー) そこで口に水を含み目隠しをし、葬儀が始まるのだ。 クジは、順番を決めるためのものである。 1番手の準備ができると、合図とともに全員が目隠しを外す。 1番手は、先ほどの赤い服を脱ぎ捨て、 我々の感覚では、場に似つかわしくない滑稽な恰好をしている。 そして、少し間を置き、変な声を出し身体を動かし始めた。 場に居るものが耐え切れずに水を口から吐き出す。 人にかかるもお構いなしだ。 どんどんみんな口から水を吐き出していく。 それを、場に居る人間の数だけ繰り返す。 踊るモノ、屁をこぐもの、参列者を強引にくすぐるもの、 故人の秘密を暴露するもの。 みんな笑いながら泣いている。 消費された水の量が多ければ多いほど、 その葬式は良い式だとされている。 もちろん、人間である。 自分の番が来ても泣いてばかりで何もできないものもいる。 そういう時はそいつに思い切りみんなで口から水をかける。 みんながその涙を隠すように、みんなも自分の涙を隠すように、 みんな泣きながら笑っている。 最後に私の大好きなジョグボング教の経典の一節を紹介しよう。 あなたがほんとうに悲しいときに、楽しく笑って流した涙があれば、それは誰かのいつかの涙を減らすだろう。 本当に悲しいときは悲しみで終わりにしないこと。 悲しいことは悪くなくても。 私は教徒ではないが、この言葉は子供に伝えようと思っている。 祖母の式はとてもいい式だった。それは断言する。 私はびしょ濡れでホテルに帰った。 (終) コメントの受け付けは終了しました。
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1月 2021
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