毛皮を履いた椅子が部屋の中に居た。
大きな部屋に一人で住んでいる。 その椅子は毛皮に覆われたひとつの足を持ち上げて窓を開けた。 人間たちをみているようにみえた。 なんでわかるの?占いで私やっぱり言われたことがあって 駅から遠いけど広い方がいいんだよね 最悪 さまざまな人間の声に合わせて 毛皮を履いた椅子は、足を器用に動かして音を立て続けに鳴らしこちらをみた。 話しているのか思っているのかそれとも両方か。 毛皮を履いた椅子は背もたれをそりかえして後ろに傾き、円を描くように足を後ろから順に右回りで落としていった。 回転の速度は一定ではない。 歌っているのか踊っているのかそれともそれの両方か。 もしその椅子が知能も何もかも人間と何も変わらなかったら 私は椅子をどう呼ぶだろう。 目の前に毛皮が一枚ずり落ちた それを手に取るべきか足がすくんで動けない 答えがまだ見えないままに身体をねじると名前のない動きになった。 彼からみると、これも話しているのか、思っているのか、泣いているのか、笑っているのか、怒っているのか、楽しいなのか、それともそれの全部か。 わからないだろう。 私が混沌のまま立ち上がると毛皮を履いた椅子は、一歩こちらに近づいた。 決断が始まる。 野菜を切るときには包丁を使うよね。 でも使わない時もあるね。 レタスとかは手でちぎることが多いしな。 穴を掘るとき、スコップを使うよね。 規模によっては大がかりな機械を使うこともあるけど、 道具を使わず手で掘ることもある。 モノを食べるときも大抵、箸やフォークを使うけど手で食べるものもある。 自分で選べるよね。このときは包丁だ、スコップだ、箸だ、手だって。 時間についてもそういう感覚を持っていた方がいいんじゃないかと思っている。 ずっとずっとそのことを考える状態が続いている。 「時間」の流儀に倣って言葉を使うと そのことを「何年」も考えている。 この「時代」に生まれた限り 「時間はある」と言えてしまう。 水を飲むとき、入れ物を使うね。 でも、使わない時もあるね。 あまりないことだけど、 そのまま口で飲むときも人生で一度くらいはあると思う。 自分にはなくても、例えば蛇口から直接水を飲むことを、 想像することはできると思う。 時間て何だろう。 時間てほんとにあるのかな? 僕は現時点では、時間というものはもともと自然界にはないと思っていて。 時間は人間がつくったただの道具だと思って生きている状態が続いています。 包丁やスコップや箸のように。だから、あるのはある。 でも、使いたくないときは使わなくてもいい。 人が人と関わりやすくするための便利な道具。 道具は使うもの。 道具に使われることになるとちょっとしんどいなぁ。 道具の為に生きるのは違う気がします。 包丁やスコップを使うために生きるのはちょっと違う気がするのと同じように。 時間は人が生きるときに共通認識していた方が 生きられる「考え方」という道具。なんじゃないかな。 待ち合わせるときや、何かを発表してそれを見せるとき、時間が無いと 誰にも何も伝わらない。 時間の発明はもともとは人が人と生きていきやすくした結果 うまれたものな気がするんです。 時間という考え方は道具。言葉も道具。人と人が繋がりやすくなるための道具。 友情という概念も、愛という概念も言葉になればそれは自分を含めた誰かに そのことを伝えたり、そのことだけを抜き取って考えたりするための道具。 言葉が無いと世界の全ては全てが並列で、砂漠の真ん中で指針が無く立っていて、 どこに足をすすめたらいいのかわからないから、 部屋を整理するように、本棚を整理するように、 世界を整理する為に言葉が発達してきた。 言葉は世界を効率よく、整理してくれる。 この砂にはこういう意味がある。この砂とこの砂には近い意味がある。 でも、世界はやっぱりすべてが並列で、優劣の世界ではないと思う。 もともと、砂しかないところ。名前を付けても儚いところ。全部は言葉にならないし、 言葉になったものも砂ですから。 砂漠のように。海のように。空のように。孤独とも自由とも何ともとれるこの世界。 優劣の世界を選べる可能性も含めて並列で、それぞれに意味があって意味がない。 時間の前にはどんな偉人も、フツーの人も平等だ。 時間はあるじゃないか。だって誰もが死ぬんだから。 でもやっぱり時間て本当にあるのかな? 時間という道具を採用したら 「誰にとっても時間の前では平等だ」 時間という道具を採用したら 「時間が経つと誰もが死ぬ」 時間は人があると決めればあるけれど。使うと決めれば使えるけども。 でも、そこから解放されてもいいんじゃないか。 必要な時だけ、クローゼットから引っ張り出して、便利な「時間」を身にまとえばいいと思うんだ。 絶対にその服を着なくちゃいけない毎日はおかしくないか? 時間の前でも、根源的な意味でも 人は本来並列で、それが平等というかはわからんけれど。 木だって、石だって、昼だって夜だって、 時間があるから存在しているのではなくて、 時間という道具が無くたって自由にそこにいる。 時間は有限だ。時間という道具を使い続けている間だけ私たちは有限だ。 なかなか使わずには過ごせない時間という道具を使わずに 時間の外から言葉を描こうとしています。有限の外から。 声が聞こえますか。聞こえたらいいなぁ。 人肌の中に埋まるとき、僕に時間が消えたんだ 人肌の中に埋まるとき、相手の時間も消えたんだ 声を届けたいな。 人の声を。時間という道具を使わずにいられない状態から離れられるように。 使いたいときだけ自分で選んで時間を使えるように。 人肌と時間という考え方。両方を持てるような。 声には身体も思考も僕の個の情報のかなりのものが詰まってる。 世界は・・・・ 世界の方からは、僕とあなたが有限なんて、絶対一度も言ってない。 柿が取れた 柿が取れたよ 大きな柿が取れたよ みんなで柿を取ったよ 沢山の柿を取ったよ みんなそれぞれがそれぞれの顔をしていたよ 柿が川に流れたよ 大抵の柿の横には人がいたよ 柿を大事そうに抱えていたり 憎しげに眺めていたり 怖がりながら近づいたり それぞれがそれぞれの態度をとっていたよ どの道にも どの店にも 柿があったよ 柿の木は 見当たらないのに 柿はいくらでも あったよ みんな柿をみて それぞれの場所で 自分を偽らず 柿に対して 接したよ たくさん 柿があったよ 柿がたくさんあった みんな 柿のことがなんだったかわからなくなるくらい たくさん 柿が熟れだしたよ 急に 一斉に 柿が熟れ出した 柿は柔らかくなって 甘くなって 溶けて なくなったよ 色んなところから 柿の匂いがして だから柿の匂いが意識できなくなって 柿はなくなったよ また 柿はたくさん取れるのか それは分からないよ 何せ こんなことは 初めてだったんだ それくらい たくさんの柿が たくさんのところに出来た みんなしばらくは自分が気になった柿のあったところにいって それぞれが適切だと思う態度をとっていたよ 寂しそうにしていたり 怒っていたり 覚えているのに 覚えていないふりをしたり でも それをずっとは続けなかったよ みんなもう忘れてしまったんだ 体の中には残っているよ 美味しいサラダってレタスとかクレソンとかベビーリーフとかなんでもいいけど俺でも知ってる見たことあるあの葉っぱが見たことない顔してそこにいるんよね。
まるで、空気の澄んでる場所で朝露をまとってるみたいな神聖な表情で、凛としてドレッシングまとってんの。あの顔したサラダほんま好き。 適度に冷たくかたばるでもこわばるでもないあの顔。 あなたの顔は本当はそんな顔なんだ。僕が触る時と違うからそう思います。 本当の顔の時のあなたは私はこんな顔してるんだなということも考えないくらい不思議に自然で、そう、自然がただそこにあって。それを口に運ぶのです。僕が触ってもまだどっかよそ行きの顔や少し楽しそうな顔してるんだよな。自我さえもない朝の風景。みたいなサラダを作りたい。 ・生まれてからずっとサラダでした。 ・あなたの口に入るまで。 ・ここにいる。 ・このキラキラつやつやしたものは朝露です。 ・あなたの口に入るまで。 新作音源 KIND OF RED 予約、少しづつ増えてまいりました。 嬉しいなぁ。 もっとたくさんの人に届きますように。 まだの方、是非とも、音と言葉の赤の世界を購入してみませんか? ここ、言音(ことね)でしか体験できない世界があります。 言葉で表せないものを音楽に。音楽で表せないものを言葉に。 予約はこちら↓ https://kuzetakaomi.weebly.com/information.html 今日は謎夜です。 謎夜 契約 卵を植えた そこに星が入った すると卵は話し出した 「私はまた出かけないといけない。」 また植えていいかな? 「次は君の為に孵るね」 そういうと卵は僕の耳を触った 耳が卵の殻になった 卵は割れていた 僕が僕の為に孵った卵だと知る 私もまた出かけないといけない (謎夜 6012夜目より抜粋) 謎夜 つまずきかたまる 耳を落とした蛇が居る 何かしら? と蛇はいう 僕は耳に話してる 何かしら? と僕はいう 蛇は耳をかたむける (謎夜 3940夜目より抜粋) 謎夜 夜耳 耳の夜に入った 耳の音がする 耳の声がする いつもと違う夜の音 (謎夜 7352夜目より抜粋) 謎夜 誰かがこれをやったんだ 耳を手に入れた。私は耳を膨らます。夜より大きく膨らます。 耳の中に夜を入れ なるべく静かに周りを歩く。 (謎夜 9827夜目より抜粋) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さらに。KIND OF RED 発売を記念して、 ◆配信ライブ 久世孝臣・ソロ朗読会【或る言葉の記録】 VOL.2 夜のふくらみーYoruno Fukurami をオンラインで開催します。 URLは少々お待ちを 色んな面白い言葉の仕掛けを堪能しにネット上に遊びに来てください。 糸みたいな触覚の女性が泣いているのをごんずいみたいな女性が見ていた
私は冷めた眼で毒に気をつけてねと糸みたいな触覚の女性に向かって微笑む 春の草の匂いがした (終わり) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※音源を今月リリースします。データ販売もあります。 ご予約はこちらから。 https://kuzetakaomi.weebly.com/information.html コンセプトなどはこちらから。 https://kuzetakaomi.weebly.com/blog/kind-of-red ほんと最高のものが出来たので是非。 私もあなたも炒めるときは
炒めすぎないようにしてください いくら言ってもいつも火加減いい加減 でも思い切りよく歯切れ良く 私もあなたも炒めるときは あなたをおいしく食べたいでしょう 重ねて懇願いたします。 私もあなたも炒めるときは 炒めすぎないようにしてください (終わり) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※音源を今月リリースします。データ販売もあります。 ご予約はこちらから。 https://kuzetakaomi.weebly.com/information.html コンセプトなどはこちらから。 https://kuzetakaomi.weebly.com/blog/kind-of-red ほんと最高のものが出来たので是非。 今月ニューアルバムをリリースします。 タイトルは「KIND OF RED」 予約受付を開始しました。 諸事情で正式な日程が確定できていませんが今月中には必ずお届けします。 11月30日までに購入して頂けると、2曲、アルバムに入らなかった曲をプレゼント。データ販売有。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これは、言音(ことね)という、現代音楽家の市川ロ数(イチカワロスウ)と、詩人の私で活動しているユニットの新作です。 言葉と音のまだ自分たちも聞いたことが無い着地点を探っています。 同じ世界の中の異なる世界を生きる私たち。 それでもなおどこかの場所で寄り添えないか。 同じものの中に宿る全く違う世界。 同じ事象について話をしていても、 同じ問題意識を持てず、バラバラのことを話す現代。 同じものの中から何を見出すか、 何かを見出したとして他の別のものを見出した人を攻撃しないでいたいな。 誰も彼も血を流さないように、最低限、寄り添える場所として、赤の気分が、このKIND OF REDが機能したらいいなと思います。 ------------------------------------------------------------------------------ 音と詩の紫陽花、前作poetrangea から4年。 フラクタルな詩の器を経て、4年かけて紡がれた久世の新作 「KIND OF RED 」は「世界の全て」 光が全て重なった白の世界で同一平面上にある 見えない赤の世界を描き出す。 世界の形。私の形。 予約はこちらから↓ Information こちらのページでは、音楽と本、二つの久世の詩の形を販売しています。 kuzetakaomi.weebly.com コンセプトなどはこちらから KIND OF RED について 古来日本では、現在のアカ(赤)のことをシロ(白)と、 シロのことをアカといっていたそうです。... kuzetakaomi.weebly.com #KINDOFRED 詩が始まります。 楽しんで頂けますように。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 窓の下から窓を拭いている人を見た 始まりはまだ完全に暗くなる前の、 昼が身体を夜に渡す短い時間の出来事。 月はもうはっきりと出ている時間。 窓の下から窓を拭いている人を見た。 黙々と作業をしている姿に見とれていた。 向こうはこちらに気づいていない。 もくもくと窓を拭いているあの人は、 世界と自分との境界線を 拭くことではっきりと提示しているみたいだった。 「ここからはお前の立ち入れない場所」と、 空気の中にやけにくっきりと透明な印をつけている。 世界中に蔓延しているウィルスが いやでも、 自分と何かとの境界線を浮き彫りにする。 透明でそこに在る窓。 僕はしばらくそこでその窓を眺めていた。 もう昼の気配は完全に消えていて。夜になっていて。 きれいになった窓とその周りを包み込む夜。 きれいになった窓に浮かび上がる生活の風景。 境界線は夜の時間とともに闇に溶けて柔らかく融解し、 むしろ、僕に対して、夜の中、一つだけ開いている入り口に見えてきた。 狡猾で卑しい透明な壁とやさしい透明な入り口。 窓がある 窓を拭いた それを見た それだけのことなんだ。 (終) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー お礼ここまで読んで頂い方どうもありがとうございます。 SNS上で詩を見かけたらシェア頂いたり、動画を再生頂いたりすると大変ありがたいです。 あまり名前がない活動をしていると広まりにくいので、皆様の協力が必要です。涙。 何にせよ、物凄く励みになります。 どんどん描いていきます。 【重大なお知らせ】
今月ニューアルバムをリリースします。 タイトルは「KIND OF RED」 予約受付を開始しました。 諸事情で正式な日程が確定できていませんが今月中には必ずお届けします。 11月30日までに購入して頂けると、2曲、アルバムに入らなかった曲をプレゼント。データ販売有。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これは、言音(ことね)という、 現代音楽家の市川ロ数(イチカワロスウ)と、詩人の私で活動しているユニットの新作です。 言葉と音のまだ自分たちも聞いたことが無い着地点を探っています。 同じ世界の中の異なる世界を生きる私たち。 それでもなおどこかの場所で寄り添えないか。 同じものの中に宿る全く違う世界。 同じ事象について話をしていても、 同じ問題意識を持てず、バラバラのことを話す現代。 同じものの中から何を見出すか、 何かを見出したとして他の別のものを見出した人を攻撃しないでいたいな。 誰も彼も血を流さないように、最低限、寄り添える場所として、 赤の気分が、このKIND OF REDが機能したらいいなと思います。 ------------------------------------------------------------------------------ 音と詩の紫陽花、前作poetrangea から4年。 フラクタルな詩の器を経て、4年かけて紡がれた久世の新作 「KIND OF RED 」は「世界の全て」 光が全て重なった白の世界で同一平面上にある 見えない赤の世界を描き出す。 世界の形。私の形。 予約はこちらから↓ https://kuzetakaomi.weebly.com/information.html コンセプトなどはこちらから KIND OF RED について 古来日本では、現在のアカ(赤)のことをシロ(白)と、 シロのことをアカといっていたそうです。... kuzetakaomi.weebly.com #KINDOFRED ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 窓・・・最初に 「窓」という詩を公開します。 これは少し独特の技法を使ったものです。 殆どの行が一行一行普通に読むこともできるし、 前の行と次の行の頭を繋げて違う文として読むこともできる ちょっと不思議な文章です。 例えば、 印象的に服がぶら下がっている 窓を外から見る 僕は水を飲む 夜 少し冷たい とあるのですが、 印象的に服がぶら下がっている窓を外から見る 僕は水を飲む夜 少し冷たい とも読める。という具合です。 同じ詩の中に別の詩が隠されているみたいな技法です。 では。楽しんで頂けますように。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 窓 印象的に服がぶら下がっている 窓を外から見る 僕は水を飲む 夜 少し冷たい 人が横を通る 右を僕は行く ゆっくりと 木の先端が光る 僕を写す月をみる 今日月が 身体を渡る 石膏のような月である 僕の右の眼に月が入って 笑う 月が 石膏のような 神経の奥がずきずきと痛むような 僕の中で 抜けなく笑う (終わり) ふかふかの沼に包まれる感覚を知っているかな? 田んぼに足を突っ込んだことがあれば、それを思い出してもらえると助かる。 それがなければ海や川に全身浸かっている感覚が一番近いかな。 身体を包む優しい沼があってだな。 そこに全身を沈めるんだ。 水よりも密度のある沼の泥が全身を覆う。 わかるかな?1mmの隙間もなく、身体をふかふかと優しく覆ってくれるんだ。 自分の全ての場所が分け隔てなく覆われている気持の良さはいいようのないものなんだ。 覚えてないけど、母親のおなかの中にいるような安心感とでも言えばいいのだろうか。 その沼に入るとね。先端部分から少しずつ、 なんだか分からない生き物にたべられていくんだよ。 それが不思議と怖くないんだ。血は出てるのかわからないけど、痛くはないかな。 でも自分が減っていっているのがわかるからね。少しずつ。 たまに恐怖のようなものは身体をよぎることはあるよ。 でもふかふかの沼に身体が包まれているからあまり気にならないんだ。 少しずつ減る体を減っても泥が優しく覆ってくれる。 わかるんだよ。自分の身体がどれくらい減ったか。足はもう太ももくらいしかないな。 でも泥があるから自由だな。手はもう肩くらいまでしかないな。 でも泥があるから自由だな。 意思が伝達できるんだよ。 泥があることで、足や手の指があったころと同じように 泥が自分の意思を反映させて世界に伝えてくれるんだ。 頭だけになったら、そこでしばらく、身体は減らなくなるんだ。 頭だけになって、ふかふかの優しい泥に包まれて、身体が無くても困らなくなって。 むしろ前より密接に世界とつながっている感覚があって。 手を伸ばそうと頭が思ったら身体があるときは手だけ伸びるわけだけど。 今は地平線ごと星一つ分自分の身体になった気分でね。足もそうなんだ。 泥がね、血や内臓の代わりをしてくれるから死なないよ。 最後に頭も少しずつ食べられて自分の形はなくなるんだけど。 それは死ではなく世界との同化なんだ。 私はセカイになったんだ。ちゃんとそう思えるんだよ そして空気になって、ここで、情報として浮かんでいるんだよ。 気楽なもんさ。 |
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1月 2021
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