感覚なんて自分だけのものでそれ人に言っても分かってもらえない奴だから、
もうずっと黙ってたことをきちんと口にしたくなってる。 人と話をすると自分の中にしまってきたものたちが声を出したがってくる時期がある。 自分の中で考えて、閉まって、作品にして、考えて、閉まって、作品にして。 感覚のことを話さずに黙ってるうちに、それが自分の血と肉の一部に確実にあるのは知っててそれとともに生きてるけど、言葉にしなさ過ぎて、どこにいるのかって意味ではどこいったかわかんなくなっちゃった奴たちがもぞもぞしてる。 それをあなたの言葉や感覚で、自分の血と肉が何でできてて、それはそこの骨で、これはそこの内臓でってのがすごくまた分かるようになってきてる。 普通になりすぎてたことたちをきちんと把握して理解していける感じがね、 涙が出るほど嬉しい。 だからたくさんたくさんずっとお話ししたいです。 たくさんたくさん教えてください。 あなたの言葉で僕のこと。 1つの銀河の真ん中に1つの大きい身体があった。
孤立するうまれる連鎖する範囲 身体 身体が膨らんで 中身が産まれた。 姿勢を変えたら 身体が割れた。 身体が膨らむ 中身が産まれる 姿勢を変えたら 中身は出ていった 身体が割れた 割れた体を覗いたらそこにはまた銀河があった。 溢れだす星の水 身体は割れたまま静かに笑って連鎖する。 お母さんでも同級生でも誰でもいいんだけど。
いきなりふわっと時間止まっているみたいに見える瞬間もあって。 感覚ってさ、一日の中でも一定じゃないからさ。 一日の時間の中で自分の感覚が 一番鋭くなってるタイミングで、 光が身体を触って来たり、 水道の水の音がとても気持ちよく感じたり、 そういうのが自分の鋭い感覚をさらに鋭くしてくれてさ、 自分だけじゃ行けないところまで行けたりしてさ。 そういうタイミングで周りの人の時間が止まってるように見える瞬間があってさ。 そういうときは同級生でもお母さんでも誰でもすーっとしてるからさ、 ああなんかわかるかも。って気分になるの。 みんな考えすぎちゃってるだけで 石とか木とかと同じで 人間も時間からもともと解放されてるんだって凄く納得することがあるよ。 僕らはなかなか時間から解放されるの難しいと思ってるし。思いがちだけど。 でも、基本的にもともと解放されているんだよなぁ。時間て人間が勝手に作ったものだし。 それを絶対に忘れたくない。 今日は日差しが気持ちよくて日差しと言葉がおなじように優しくて 日差しと言葉が溶けて一緒になってここで今泣けてくる。 忘れてた井戸思い出して、ちょっと掘ったらモッカイ水溢れてきた。 日常にある水の意味。時間をだらり一垂らし。世界がぐるり一回り。 僕が窪んでいるときは誰かに水になって欲しい
自分の形が分からない僕の形を教えて欲しい そっと水をそそぐみたいに誰か自身をそそいで欲しい。 知らないところが少し深くて知らないところは平らなのかも知らない僕の窪みに向けて。 知らないだらけの僕の形。 激しく降った雨でたまった水でも水溜まりは穏やかです。 |
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1月 2021
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