15年前、僕は22歳だった。
15年前は20年前のことを思い出して話せるなんて思わなかった。 過去のことを話して面白いとも思わなかったし、 過去のことを話すという選択肢すらほとんどの場合思いつかなかった。 37歳になった今は20年前のことを思い出して話すことができる。 その時代がどうだったかを思い出すことができる。 僕が意思をもって生きてきた時間として、 肌で感じた時代の実感として。 10年以上ぶりにあう懐かしい友人との温まるコミュニュケーションの1つとして。 過去のことを話して、面白いと思うようになった。 20年後、まだ幸福にも生きていたら、 40年前のことを話すことができる。 今から20年分の自分が生きた時代の実感を乗せて。 今話す20年前と20年後に話す40年前はだからちょっと違うものになると思う。 生きるとはそういうことだと思った。 20年後に40年前のことを話すとき、 今よりだいぶ記憶がおぼろげなのだろうか。 それとも、今よりむしろ鮮明に、 過去の記憶を話すことが出来るのだろうか。 それは20年後にしかわからないけれど、 これから先の20年も毎日と毎日毎日戯れて、 意味のない下らない馬鹿話をしながら、 日常が色あせないといいなんてことすら思わないくらい、 今と同じくらい色んなことを考えていたい。 やりたいことが減らない毎日が続けばいい 20年後に40年前の話しを話すとき、 どんな下らない話しをしても、まじめな話をしても内容よりも 人は時間を重ねる ということが伝われば面白いな。 言葉として知っているけどなかなか体験できないことを、 実感してもらえる瞬間があれば面白いな。 人は時間を重ねるんだ そういう生き物なんだ。 重ねるというのはそうかこういうことか。 未来で話す誰かにそう感じて貰えたら とても僕は嬉しい。 それを伝えるために話すことは無いけど。 僕にこれから刻まれる皺にきちんと時間の祝福がありますように。 人は死ぬまで生きている。僕ももちろん。 その面白さが僕は大好きです。 今日街で偶然出会った、60年前のことでも話せそうな2人の人間が、 「大根100円だよ」 「もう重いからもてないよ」 とゆっくりと足をひきずりカートを押しながら 笑いあっていたのを見て僕は確かに時間を具体的に目撃した。 その感覚の鮮烈さを今日は誰かに話したかった。 時間が歩いて話して笑う。それを目撃できた今日の自画像
よしか
1/9/2020 05:11:31 am
初めてコメント残します。
久世
1/9/2020 06:01:28 am
ありがとうございます。言葉の自画像たまに描いています。言葉だとまた雰囲気違って面白いです。 コメントの受け付けは終了しました。
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1月 2021
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