君に人気の木 流れるように くだるように 留めるように のぼるように 受け止めて 受け流す 名前もないけど立ち止まる あの木は君に人気の木 蝉がたくさん脱皮する あの木は君に人気の木 そうです あそこにある木です 見たか 道が 降ってきた 筋がすー すー 線がすー すぅー 筋が すっ すっ すうぅっ 光で 道が また増えた すっすっ さっさっ すすすす すっすうぅ (謎夜 6708夜目より抜粋) きれいなものが好きです。 きれいってなんですか? なんできれいって思うんだろう。 どうしてこの感情のことをきれいだって 僕は呼ぶことにしたんだろう。 分からないけど、心が、普段感じない温度や色を感じたり、 動いたり逆に止まったりすること、 普段と違う強い感情を身体が受け取って 心が反応すること/ものが、 きれいなんじゃないかなと思います。 でもそしたら、憎しみも悲しみもきれいになります。 本人以外からしたらそうなのかな。 本人はそれどころじゃないのにね。 たぶんそんなことをきれいだなんて絶対言ってほしくないのにね。 きれいなものに倫理や常識は関係ない。 時として、命の危険があるくらいの憎しみも悲しみもきれいだと思ってしまうんです。 きれいってことは一番いいことなのかな。 僕はそう思ってきました。 きれいななものが好きです。 いろんなつらい思いも悲しみも、 迷いもとまどいも あがきも何もかも。 僕はいまそのことの渦中に居て、 そのことのなかでただ生きているだけだけど、 僕以外からしたらもしかしたらこれをきれいだなと思う人もいるのかもしれない。 俯瞰で見たときに人間という生き物がした何かの行為が他の人間を動かすことがよくあります。 きれいって思わなきゃいけないんですか? きれいって言葉が嫌いな人もいるでしょう。 僕はきれいなものが好きですけど、 僕以外は世界中が僕じゃないので、 きれいなんてどうでもいいと思っている人も たくさんいると思います。。 僕のこのきれいだなって感情は、 人によっては、たのしいや、やさしいや、せつないという言葉なのかもしれません。 知らないことを知った時のわくわくとか、 ぎゅっと抱きしめられたときのどきどきとか。 きれいです。 好奇心や愛という名前で呼ぶんじゃなくて、 僕はきれいだなと呼びたいです。 言葉にならない気持ちに 僕はきれいって言葉で名前を付けて、 僕のものにしています。 なるべくたくさんの人がきれいって思うことをしたい、つくりたいとおもっています たくさんの物語を見て、本を読んで、絵を見て、ひととお話をしました。 人の心を理解しようとしていたんだと思います。 それがちっとも間違いだと思いませんでした。 色んな人が世界中に居て、ついつい自分を基準に考えるしかないのに、 たくさんの人が創ったものを見て沢山出会った人と話して、 そしたら、心地よいなと思う感情が流れるときがたくさんあって、怖いときも、苦しいときもあって、 たくさん経験しても、たくさんたくさん経験しても、きれいがなんだかちっともわかりません。 空は綺麗です。 純粋に人をいたわったり、寄り添いたいなと思う気持ちはきれいです。 でも、誰かはそのことで傷つくかもしれません。 僕のキレイで傷つく誰か。 見て、心が、今、ぷっくりしてるよ。 それに付き合いきれない人もいるでしょう。 きたないってなんですか?わかりません。 、は 嫉妬はきたないでしょうか。 でも、やっぱりそれも人間で、人間は人間である限りきれいだと思います。 人を殺すことも?人をだますことも? それをきれいといってしまうことは、してしまった本人は口が裂けてもいってはいけないと思います。 でも、よくぞ言ってくれたと、心があたたかくなる人もいるかもしれないです。 それは綺麗なんじゃないでしょうか。 僕のきたないは誰かのきれい 僕の好きは誰かの嫌い 僕の楽しいは誰かの苦しい。 誰も傷つかない、きれいな言葉なんてあるのかな あるといいな。 人は何をしようと思わなくても人だから いきて、このままで、息をするだけで、きれいだなと思います。 つくろうとしたきれいが嫌いです。 でもつくろうすることがそのままなら、それはそれでそのままで。 いま、おはようを思いやっています。 おはようという言葉を。 あいつの使うおはようは嫌いでも、 言葉自体を嫌いな人ってあまり居ないんじゃないのかな。 ありがとのなかにも欺瞞や打算が入っていることがあります。 目が覚めることに絶望してしまう人もいます。 そんな人にとっては、おはようという言葉は呪いなのでしょうか。 じゃあ、僕はその人が嫌にならないおはようを、おもいやり、書き記したいんです。 たまにこういうことを考えて、思い出します。 あっ。僕たちはきれいなんだ。 |
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1月 2021
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