説明書 何か詩っぽいって感じの世の中に溢れてる何かは詩じゃないと思ってます。 個人的には。ポエムとポエジーは違いまふ。 詩は「ぽい」から一番遠くないといけないと思うんです。 詩ってこれよね?って「感じ」のものからは意識して一番遠くにいないと。 遠いといっても説明書とか何かの営業資料が詩だと思ってるかというと、そうじゃないんです。 ただ、前衛が前衛ってカタチを決められてしまったらそれはもう前衛じゃないじゃんね、カタチになっちゃってたらみんな安心して前衛というジャンルをみちゃうし、前衛ってそうじゃないじゃんねという話を昨日しまして。 こんなことを思いました。 言葉を使ってまだ知らない言葉の作用を発見したり、言葉の効果を新しく測定したり、自分も知らない未知の気持ちを言葉を使ってみつけるための実験結果や実験そのもの、またはその途中経過報告が詩だと思うんです。 だから詩っぽいから一番遠いものが詩だと思うんです。 でもそれが正解だとしてしまうと僕の言ってるものが詩だってことになるからそれはまた違うんです。 とても楽しい遊具があって、その使い方まだだれも知らない。 ちょっとは分かってきてるけど、あっ!僕これどういう使い方があるのか調べてみますねが詩だと思うんですー。 だから、詩っぽいから詩じゃないと僕が思ってるいろんな言葉は僕からすると一番詩から遠いからだからこそ詩かもしれないって可能性を認識しとかないと。 説明書や営業資料にも詩になるうる大きなヒントがたくさんあると思って行動しないと。 詩を描くときのルールとして、この道具の前で使い方を一切決めない、さっきまでの使い方を意識して忘れるってのがあります。 使い方を一切決めないのは言葉の可能性をきちんと探るためだけど、探るためだから、使い方を決めて、詩ってこう受け止められてそうだぞ、言葉って大体こうと思われてるだろうなというあてどないイメージを借りて描くということも詩の可能性の一つとして持たないとなと思う。 楽しいときその楽しいだけに適切な言葉は本当に「楽しい」なのかを考えること。そんなことを考えました。 |
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1月 2021
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