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その時の話し​

言音(ことね)とは…

9/20/2020

 
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言音(ことね)
言...久世孝臣
音...市川ロ数
 
国内外で活躍する現代音楽家・市川ロ数と詩人であり
舞台演出・脚本家でもある久世孝臣のユニット。
 
「互いに溶け合い優しく分け合う音と言葉の新しい到達点」、
「音と言葉の新しい出会い」をテーマに発表を続ける。
 
「詩の朗読に音楽を合わせた」 というわけではなく
「その言葉があるという環境」の為の音楽「その音楽があるという環境」の為の言葉を紡ぐ。
 独立して存在し、同時に融和して存在する 宙を舞う音の葉、言の葉。
 
言葉で表せないものを音楽に。音楽で表せないものを言葉に。
 
 
2013年にアルバム第一弾「言音」をitunesとamazonにてリリース。
2016年に第二弾「poetrangea」をCDにてリリース。
2020年「KIND OF RED」が第三作目となる。
 
 
 
 

「或る言葉の記録」の話し

2/17/2020

 
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ポエムをぽえぽえする男の話を聞いてください。


前半は興味ある方だけどうぞ。


後半はみんなに読んでほしいな。



今年は自分的に武者修行の年にしたいと思っています。



具体的には年間365詩以上描く、単独ソロライブ3回これとプラスアルファ。



特別に意識しなくても、毎年毎年、研鑽を積めばいいと思って、


ここ何年も、生きるなかで生きるように、らしく詩って来ました。


楽しくその日来た詩を言葉にする日々はとても気持ちよく、


悪いことがあっても、人間だしなとすんなり腑に落とし、


腑に落ちないときも、これは人間味。


嫉妬も、怒りも、したらしたで、それを無理には止めないで


それを含めて自分の人生や業を楽しんでいました。




そんな暮らしの中で、ここから先の人生でも詩を紡いだり、


舞台をつくったり、みんなと集まって気持ちよく生きていくために、


改めて「修行したい」という謎の意識が芽生えました。


快楽主義で刹那主義、その日暮らしの楽しければいい


という性格の僕にしては珍しいことです。


自然と気持ちが動いた時ほど、


物事を動かすのに適切なタイミングはない


と僕は思います。


意識しないでやっていたことをもう一度意識してやることで、


また新たな局面が見える気がしています。




あと自分の中で、今までにない気持ちが出て来てますねん。


言葉に対しての今まで感じたことのない種類の感謝と、


もっともっと言葉を触って遊んで、誰もみたことないカタチをつくりたい


という意欲が今凄くて。


絵の道を行く人の、すっと引いたように見える


一本の線の美しさに魅了されるように、


自分が今使っている言葉をもっと意識的に探求することで、


言葉でその境地にいきたいなと。


読んで描いてある意味が面白いと思うより、触って、視て、


字の配置や言葉の手触りやつなげ方などで


これ面白い!ってなるようなものをたくさんつくりたいなぁ。



そのためにもう一度明確に自分が何を追いかけてるのか知りたいなと。



今年はそういう意識でやってみます。



詩が描けないことは今までなかったんですが、


これからは考えすぎて、描けなくなるかもしれません。



一喜一憂していきたい。


それがこれからの僕の言葉への感謝を言葉からの恩恵を

世界に循環させることにつながる気が今しています。





本題です。




この度「或る言葉の記録」という朗読会を立ち上げることにしました。


ご縁のある方。お立会いいただければ幸いです。






日本ではあまりなじみのない詩の著者自身による朗読会ですが、


映画やゲームのようにものすごく視覚的に強い強烈な体験はできません。


はらはらドキドキしてあー楽しかったってエンタメ体験もできない。


最新のテクノロジーもありません。


素敵なレストランやエステや温泉のような極上の快楽も体験できません。



ただ、残響が消えない言葉の魅力、


言葉の原液をお見せできます。



頭の中で一つの言葉が乱反射して、内側がぐらぐら揺れて、



今自分がどこにいるかわからないくらい



心が目の前に広がって気持ちが溶け出し、


体と現実の境目がなくなるような時間はお渡しできます。



そんな風に、もし、僕の世界に入ったら、頭の中を見せられたら、


それはきっと強烈な視覚体験も、


エンタメ体験も、快楽体験も同時に経験できるはず。



全部を含んで統括して頭の中を動かせる、


純粋に「言葉」だけを触る時間だからできる


何万年も人に何かを伝え続けてきた「言葉」が持つ生の力。



小さいころ絵本なんかを読んでその中にずっと居たみたいな


イマジネーションの世界に皆さんと一緒に行きたいな。


切り取った時間の中で記録した或る言葉たち。


共通の幻想を共有できますように。

詩の朗読会
或る言葉の記録

或る言葉の記録とは…詩人・演出家の久世孝臣が
自分の言葉を各地に伝えて廻る朗読プロジェクト。
ひとつの言葉のような一日。
第一弾は「自画像」をテーマに、
舞台で使用した詩、詩集に採用した詩、謎夜の中から厳選した作品を朗読します。
衝撃の言語体験。混じりけのない 久世の言葉の原液、言葉で描く、詩人の自画像。

◆日時
3月8日(日)
開場13:00~ 開演13:30~
開場16:00~ 開演16:30~
※各回とも読む詩は違います。
※16:30の回は終演後、懇親会あり

◆場所
野方DAILY SPACE
西武新宿線 野方駅 徒歩1分
https://www.dailycoffeestand.com/

◆値段
2500円+1Dink(500円)
一日通し券 4000円+1drink(500円)

◆問い合わせ先
takaomiomi@gmail.com

◆ご予約
下記ご予約フォームより、予約いただけます。

北の空が赤く染まるとき、四十男がこうべを垂れる

11/24/2019

 
今日もですかね。
 
 
 

僕は自分がやってない違う世界の話を聞くのが好きなので、僕も自分の世界の話を話そうと思います。
舞台に興味ない方にもちょっと覗いてほしいとも思いますし。

今は確かに触れる距離にあるのに、もうすぐこの世界のどこにもなくなってしまう舞台の話。
 
 

漫画やアニメ、映画に比べてとても小規模の人数にしか語り掛けられない、拡散が容易なこの時代にとても拡散しにくいコンテンツの話を。

 
 

もうたくさんお伝えしているのでご存知の方も多いかもしれませんが、今月僕は、千歳船橋、APOCシアターにて上演中の
「北の空が赤く染まるとき、四十男がこうべを垂れる」という作品に「演出助手」と「作品補佐」という役割で参加しています。11月2日から30日まで。ほぼまるまる1か月です。

 
 
踊る熊谷拓明カンパニーという僕が出演させていただいている、山田玲司のヤングサンデーにも一度出演した熊ちゃんこと、熊谷拓明の主宰団体の作品です。
 
 
 
今回は、彼が生まれて「40」年・踊って「25」年を記念して制作されているメモリアルな公演です。

 
 
なので、休演日を除いた「25」日間で、「40」公演を行います。
 
 
今もう、32公演終わりました。
 
 
一人芝居でこの回数をこなすというのはちょっとなかなかありません。
 
 
そして、演出が、ここまで毎日、現場に張り付くということもあまりないことだと思います。
 
 
 
演出はロングランの場合、毎日は現場に居ないのが常です。
 
 

僕は興味があるのです。
 
 
40公演でこの公演がどのように変化していくか。

 
熊谷拓明という男がなんなのか。
 
 
僕は僕でこの40公演を生き物のように変化していく舞台の様子を克明に体に刻みたい。
 
 
そして、日々、僕が感じたことを熊ちゃんを通して、反映させたい。そんなことが可能なのかな?代弁してもらうつもりはありませんが、でも、僕が感じたこの40公演と熊ちゃんが感じている40公演にどのような齟齬が生まれるかそれとも生まれないか。
 
 
実際にやってみないとわからないから、張り付くことにしたのです。

 
32かいやってみて、感じることは舞台って本当になんだろう。
 
この時代に本当に向いているし、向いてないしということです。 
  

演者も生身の人間ですから、日によって全然違うわけです。

 
一人芝居ですから、全部ひとりでやってます。
 
 
だから特に顕著に毎回ちがう。ボタン一つでなんでも家にモノが届く時代。
 
家に居ながら過去のコンテンツを自由に観れて退屈しない時代、にこんな不安定なものをやっていることはちょっと、いや、だいぶ変だと思います。

 

 
でもだからこそこれは面白いなぁとも思います。
  
  
 
熊谷を少し知っている方からすると以外でしょうが、
 
彼は認めませんがとても繊細な人間です。
 
 
 
客席の様子によってリアルに演技が変わります。
 
 
開始5分で退屈そうなお客様を見つけてショックを受けて
いつも噛まないとこでちょっと噛んだりします。
 
 
それもいいなぁと思います。
 
 
それくらいで今回の作品は揺るがないし、そのちいさな揺らぎがたった一度のその回のかけがえのない味になったりするのです。 

 

 

 
 
同じ作品見ていても違う作品を見ているということ。
なんでも共有できる時代なのに、共有できない時間。
 
 
家に居ながら過去のコンテンツを自由に観れて退屈しない時代にこんな不安定なものをやっていて浮き彫りになるのは、ボタン一つでなんでも届く時代にこんなことをやっていて浮き彫りになるのは、どんなに何が変わっても人間が生きている限り、
「身体」という現実からは逃れられないということ。
 
 
誰にでも身体があるということ。

  
 
みんなに身体がある。人の数だけ身体がある。

物語を簡単にお伝えすると
「6年前から野外で踊るのを禁じられた街でその法律を知らずに
25年間自分ちの庭で踊り続けていたのが見つかって捕まった男の顛末」です。
 
 
 

また別の側面から誤解を恐れずに僕の言葉で言うと
「踊ることってなんだろう?と問い続けた彼の25年の私小説・そして現在時点の彼の踊りに対しての答えの物語」
でもあります。
 
 

僕の役割、演出助手・作品補佐って何をやっているかわかりづらいと思うのでざっくりと説明を。

普通、演出助手というのは結構雑用な役割が多く、
お芝居によっては時代考証が必要になってくるのでそういう調べ物をしたり、演出が決めた役者の立ち位置とか必要な小道具を把握して、照明や音楽、舞台美術などの各セクションと
連絡を取り合ったり、台本のコピーなんかをしたりなんですが、今回の公演は熊谷くんの一人芝居。一人ですから、主演です。
 
 

一人で75分間踊ったり話したり、踊りながら話したりします。
 
 

そうすると、演技をしている間、自分のことを客観的に観られないので、そこを観る人間が必要になってくる。
それが僕です。
 
 
一般的な助手の役割を踏み越えて一般的にはだいぶ演出の領域に寄った感覚で普段に近い感じで仕事させてもらってます。
 
 

舞台の演出というのは簡単に言うと、その本をどのようなアプローチで現実に落とし込んでいくかの作業です。

 
 
演出が違うと同じ本でも喜劇になったり、悲劇になったり、全然違うものになります。

演出・脚本は熊谷なので、僕は彼の演出の意図を聞いて、自分の意見もいい、ブレストして、それを理解して解釈した上で、
 
 

どう動いたら二人で話した見せたいものに見えるのかを
 
 
歩き方から話し方、テンポや音楽のタイミングや大きさ、小道具の持ち方から服の着方、踊り方や照明の明るさまで舞台上で起こるすべてのことに演出の意図(やりたいこと)を反映させていく。

 
 
これが今回の演出助手の仕事になります。

(ただ。音楽や照明・舞台美術に関しては僕がどうこう何かいうのが野暮なすごい方々なので、今回は凄いなぁこんなことができるんだ!って感心してるだけでした。) 
 
 
 
作品補佐は、彼が書きたいと思ったテーマや作品世界に対して、このシーンをつけたそう、このセリフは削ろう、
いや、ここのセリフはこうじゃないんじゃないか?このシーンは最後の方にもってこようなどなど、
編集のようなお仕事でした。初めてやりました。

脚本上・演出上の相棒という自分の一言で作品のクオリティや内容自体がが変わってしまう非常に嬉しい位置に居るという感じです。

 
 

全部が自分勝手に演出できるわけではないがかなり自分の意見が通るし、熊谷の意図も自分のフィルターを通して舞台に反映させるので、
良くも悪くも全体的に自分の色が出てしまう。
彼の作品の方向性を僕が決めてしまうことになる。とても怖い位置でもあります。

日常生活において一人の人間と付き合うとき、基本的には頭の中で考えていること全部をわかろうとする方は少ないと思います。

 
 

そんなことしなくてもなんとなくで付き合えるしなんとなく楽しめるからです。
 
 

分かろうとしても分からないし、分かろうとしたらすれ違うことも多いですし。
 
 

でも、演出をするとなるとそうはいきません。
自分の中で理解できないものを演出はできません。

 
 
最低でも理解できないこと理解できた、や、言語化できないけど、感情や感覚としては分かるくらいはいかないと。
 

理解したと感じたうえでの直感ならいいのですが、理解したとも感じてないのに勝手な直感で作品を進めていくわけにはいかないです。
 
 
熊谷の頭の中を覗き見て、彼の頭の中にある世界がどのようにしたら色んな人に伝わるかを脚本・演出の両面から一緒につくっていく作業ができることはとても楽しい時間でありました。
まだ終わったわけではありませんが、素直にそう思いました。
 
 
まだでも、あと8回あります。
最終日以外チケットまだあります。
 
 
 
やはり、苦労して創った作品です。少しでも多くの方に見てもらいたい。
 
 
 
宣伝はしてますが、うまく広がる方法は分かりません。
 
 
出来ることをしてますが、出来ないことはできません。
 
 
ここまで読んでくれたあなたなら、興味を持ってくれているということだと思います。
 
 
興味がないと途中で読むのをやめる文章を描いたつもりです。
 
 
来てください。
 
 
詳細や予約はこちら。
odokuma.com
 
 
もしくはもう僕に直接連絡を。

9月7日、8日は新しいカタチの謎夜をお見せできる日!来てね!

8/9/2019

 
完成のお知らせ。
 
 
 
皆様暑い日が続きますが、お元気でいらっしゃいますでしょうか?
 
 
 
 
久世です。 
 
 
この度は私事ではございますが、「完成」いたしましたのでご報告いたします。
 


 
しかし、完成するっていうのは気持ちの良いものですね。
 
 
 
しかもまだ本番まで一か月もあるこの時期に。
 

なんというか、ああ、完成しちゃったかぁという気持ちもあります。
 
 
言いますね。
 
 
 
9月7日(土)8日(日)
舞台で発表する「謎夜」がこの度完成いたしました。
ご予定をあけていただきたく投稿いたします。
 
 


正確にいうと完成したのは8月4日になります。

 
 
 
謎夜とは、僕がこの一年取り組んでいる、幻想連作短編詩のシリーズです。 
  
 


今回の謎夜は加賀谷香さんというハイパー素敵なダンサーさんのお誘いで実現いたしました。
ご一緒させていただきます。
  
 
 
言葉にどれだけ身体を忍ばせられるか、
身体がどれだけ言葉を含めるか。 
そして、どれだけ溶けあわず同じ空間の中で独立できるのか。
 
 
違う世界の違う場所。同じ世界の同じ場所。
言葉と身体の面白い在り方。 
 
 
踊りと詩。身体と言葉。男と女。追憶と記憶。
空間と時間。浮遊と衝突。
 

面影・忍ぶ・名残り・残滓。
 

身体から生まれる詩、身体から生まれる物語。
 
 
 

 

 
たくさんの見え方ができるいい塩梅の作品になりました。



完成「しちゃった」と言ったのは、今回はもう少し苦労する気がしていたんですよね。
 

 
 

 

話し合いを続ける中でもいろいろなアイディアが出ましたし、
もう少しそれらのアイディアを膨らませる必要があるような気がしました。
 
 
 
 

でも、シンプルにただ、お互いの領域の仕事に専念することでとても腑に落ちて、納得のできる場所に着地したんです。
それが急にきたもんですから。 


だから・・・。

 
あるべき過程をすっ飛ばして、一気にぽんとゴール近くまでワープした感じがして、えっ!もう完成?みたいな気持ちで。ちょっとなんか、寂しい。
楽しみにしていた日々が終わることへの無情観。

 

  
 
 
  
 
まだ一か月あるので、いろいろと試すことは試して、
ただ、シンプルにシンプルにそぎ落として、
心地よく謎な夜に皆様をお連れしたいと思います。
 
 
「何をみせられることやら」と怖いもの見たさで来ていただければと思います。
 
 

皆様にこの作品が可愛がっていただけますように。
お見せできるのが楽しみです。
 
 
 
 
下記詳細。



会場:Dance Brick Box
住所:〒242-0003神奈川県大和市林間1丁目20-5中田ビルB1
最寄り駅:南林間
※小田急江ノ島線「南林間」改札出て右徒歩3分
日時:9月7日[土]16:00開演
    9月8日[日]13:00/16:00開演 
http://www.dancebrickbox.jp/

■チケット
日時指定自由席 3000円(税込)
 
ご予約は直接僕に何らかの方法で言うか、下記からどうぞ。
takaomiomi@gmail.com

■問い合わせ・チケット取扱い

 
ダンスカンパニーカレイドスコープ
http://ldck-dbb.com/

■Confetti 
http://confetti-web.com/
0120-240-540(平日10時~18時)
 
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CARABATOツアー2019終了!

6/16/2019

 
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謎夜と楽語のツーマンツアー!CARABATO!!
 
 
ご来場いただいた方ほんとうにありがとございます。
 
 
見守ってくれていた方も本当にありがとうございます。
 


 
これからもまた色んなところでやりたいので、
 
 
 
「おい久世!ここはどうだ?」とか「行ったことないけどここでやってみたらいいのでは?」
 
 
 
 
みたいな情報も今後どんどん久世やCARABATOのメンバーに伝えてください。
 
 


 
無責任に場所の提案してください。場所の情報知りたいw


 


 
あなたの地元で楽語や謎夜ができますように! 
 


 
さてツアーファイナルは錦糸町でやって、
 
 
来てくれた方を現実から10センチずれた場所「謎夜」にご招待したわけですが、
 
 


 
素敵な写真を撮っていただきましたよ!ご覧ください。


 
 
 
あれ?風が吹いてたのかな?俺の髪がなびいている。
 
 
 
 
photo by 大洞博靖さんです
 
 
皆様ありがとうございました。ではあなたの街にうかがえますように!
 
 
 
ではでは!ここで一区切り!
 
 
 


以下は、今回のツアーでしていた僕の朗読方法ついてちょっと描いてみました。長いから興味ある人だけ読んで!
 
 
 


僕は言葉を使って言葉にならないこと、言葉を使って言葉に出来ないことを表現したいなぁと思っている人間なんですが、
 


 
いつもテーマの一つとして持っているのが、
 
 
「言語の身体性」というものです。 
 
 
言葉にも「身体性」があると思っているんですね。
 
 


 
そこから始めるともう膨大な量になるので、これを読んでる方は感覚的に捉えてくださいましね。
 
 


 
言葉にも身体性があるので、ちゃんと、身体を使わないとライブとか舞台とかの生の表現の場合、言葉は届かないし、
 
 
言葉を大事に届けようとしすぎると言葉の身体性が置き去りになるので、「言葉に出来ないこと」を「言葉で」表現できない。
 
 
 って考えています。
 
 
対になることとしては身体の言語性みたいなものもあって、
 
 
踊ったり歩いているだけなのに膨大に難しい本を読んだみたいに頭の言語野が使われる状態になったりする。
 
 
 
はい。で、僕は今回、詩というジャンルで、
 
 
 
言葉の身体性という特徴を詩で最大限に生かすために、
 
 


朗読の時、言葉を正確に届けようと思わずに読みました。


 
 
詩なんてどうせ個人的な感覚を言葉を使ってつくっただけだし、紙で読んだって「分かる」ってことはないんです。
 
 
それこそ「言葉で出来ないことを言葉で表現してる」のが詩なんで。  
 


 
じっくり言葉の意味を探りたい方は読む詩は配ってあるので、終わってから読んでもらえばいいかくらいの気持ちでした。
 
 
 


 
何のために声に出して読んだか。
 
 
読むことで自分が謎夜や言葉そのものになるために、言葉を読んでるって感じでした。
 
 


 
その詩そのものになった人をみることは、それはたぶん、生でしか体験できない。
 
 
だから何を読んでるのか言葉の意味は重要じゃない。
 


 


言葉は自分がそれを読むことで、自分の中のスイッチを押して自分自身を謎夜にするために読んでました。
 
 
謎夜を描いているときと同じ状態に、
 
 
謎夜と一番濃く遊んでるときと同じ状態に自分がなるために
 
 
言葉を声を使って読みました。
 
 
自分が裸になるために、言葉を使うのはとても楽しい作業です。
 
 


詩の内容や言葉の意味は一切届かなくてもよくて、それより自分がやりたいことが届かないと意味がない。
 
 
自分が意味や本質(=謎夜)になること!
 
 
「謎夜は本当にある」を感じてほしかったんだなとやってて思いました。


 
 
 
これはですね。演技をするということではないんです。
 
 
ただ、その状態になる、その状態にいるというだけなんです。
 
 
いきなり目の前に深海が現れたらびっくりするとおもうんですけど、そんな感じです。例えば深海になりました!
 
 
意識としては。 







自分が言葉になって、夜になって、空間も徐々に徐々にそうなっていくというか。やはり人の心が動くときに人は一番感動すると思うので。
 
 


僕の心がこの現実から10センチずれた世界って呼んでる謎夜に実際に入れば。現実から、現実から10センチずれたところにきちんといければね。
 
 
 


 
詩の意味が頭の中で繋ったり理解できなくても何かは空気を舞うだろうと。
 
 
とても異質になれるだろうと。




そしたら、時間も重力もなくなるんじゃないかな??


 
 


身体を持ちつつ身体を手放す。言葉によって。


ってのが楽しいかったなぁ。




 
 
 
言葉に身体を渡して、言葉の意味が頭に入ってこない状態なのに
 
 
何かふわふわと身体は宙を浮いているようなどこかに潜っているような感覚で。
 
  
 


たまに言葉が本来の意味を持って機能する瞬間がきてそれがまた頭の中でいつも引き起こさない反応を起こして。
 
 
 
みたいな。






 
  
 


今ある現実の枠組みを一回外すため。次元をそこからずらすためこれからも謎夜や言葉自身になっていこうと思いました。
 
 


 
 

謎夜と楽語のツーマンツアー!CARABATO!!
 
 
ご来場いただいた方ほんとうにありがとございます。
 
 
見守ってくれていた方も本当にありがとうございます。
 


 
これからもまた色んなところでやりたいので、
 
 
 
「おい久世!ここはどうだ?」とか「行ったことないけどここでやってみたらいいのでは?」
 
 
 
 
みたいな情報も今後どんどん久世やCARABATOのメンバーに伝えてください。
 
 


 
無責任に場所の提案してください。場所の情報知りたいw


 


 
あなたの地元で楽語や謎夜ができますように! 
 


 
さてツアーファイナルは錦糸町でやって、
 
 
来てくれた方を現実から10センチずれた場所「謎夜」にご招待したわけですが、
 
 


 
素敵な写真を撮っていただきましたよ!ご覧ください。


 
 
 
あれ?風が吹いてたのかな?俺の髪がなびいている。
 
 
 
 
photo by 大洞博靖さんです
 
 
皆様ありがとうございました。ではあなたの街にうかがえますように!
 
 
 
ではでは!ここで一区切り!
 
 
 


以下は、今回のツアーでしていた僕の朗読方法ついてちょっと描いてみました。長いから興味ある人だけ読んで!
 
 
 


僕は言葉を使って言葉にならないこと、言葉を使って言葉に出来ないことを表現したいなぁと思っている人間なんですが、
 


 
いつもテーマの一つとして持っているのが、
 
 
「言語の身体性」というものです。 
 
 
言葉にも「身体性」があると思っているんですね。
 
 


 
そこから始めるともう膨大な量になるので、これを読んでる方は感覚的に捉えてくださいましね。
 
 


 
言葉にも身体性があるので、ちゃんと、身体を使わないとライブとか舞台とかの生の表現の場合、言葉は届かないし、
 
 
言葉を大事に届けようとしすぎると言葉の身体性が置き去りになるので、「言葉に出来ないこと」を「言葉で」表現できない。
 
 
 って考えています。
 
 
対になることとしては身体の言語性みたいなものもあって、
 
 
踊ったり歩いているだけなのに膨大に難しい本を読んだみたいに頭の言語野が使われる状態になったりする。
 
 
 
はい。で、僕は今回、詩というジャンルで、
 
 
 
言葉の身体性という特徴を詩で最大限に生かすために、
 
 


朗読の時、言葉を正確に届けようと思わずに読みました。


 
 
詩なんてどうせ個人的な感覚を言葉を使ってつくっただけだし、紙で読んだって「分かる」ってことはないんです。
 
 
それこそ「言葉で出来ないことを言葉で表現してる」のが詩なんで。  
 


 
じっくり言葉の意味を探りたい方は読む詩は配ってあるので、終わってから読んでもらえばいいかくらいの気持ちでした。
 
 
 


 
何のために声に出して読んだか。
 
 
読むことで自分が謎夜や言葉そのものになるために、言葉を読んでるって感じでした。
 
 


 
その詩そのものになった人をみることは、それはたぶん、生でしか体験できない。
 
 
だから何を読んでるのか言葉の意味は重要じゃない。
 


 


言葉は自分がそれを読むことで、自分の中のスイッチを押して自分自身を謎夜にするために読んでました。
 
 
謎夜を描いているときと同じ状態に、
 
 
謎夜と一番濃く遊んでるときと同じ状態に自分がなるために
 
 
言葉を声を使って読みました。
 
 
自分が裸になるために、言葉を使うのはとても楽しい作業です。
 
 


詩の内容や言葉の意味は一切届かなくてもよくて、それより自分がやりたいことが届かないと意味がない。
 
 
自分が意味や本質(=謎夜)になること!
 
 
「謎夜は本当にある」を感じてほしかったんだなとやってて思いました。


 
 
 
これはですね。演技をするということではないんです。
 
 
ただ、その状態になる、その状態にいるというだけなんです。
 
 
いきなり目の前に深海が現れたらびっくりするとおもうんですけど、そんな感じです。例えば深海になりました!
 
 
意識としては。 







自分が言葉になって、夜になって、空間も徐々に徐々にそうなっていくというか。やはり人の心が動くときに人は一番感動すると思うので。
 
 


僕の心がこの現実から10センチずれた世界って呼んでる謎夜に実際に入れば。現実から、現実から10センチずれたところにきちんといければね。
 
 
 


 
詩の意味が頭の中で繋ったり理解できなくても何かは空気を舞うだろうと。
 
 
とても異質になれるだろうと。




そしたら、時間も重力もなくなるんじゃないかな??


 
 


身体を持ちつつ身体を手放す。言葉によって。


ってのが楽しいかったなぁ。




 
 
 
言葉に身体を渡して、言葉の意味が頭に入ってこない状態なのに
 
 
何かふわふわと身体は宙を浮いているようなどこかに潜っているような感覚で。
 
  
 


たまに言葉が本来の意味を持って機能する瞬間がきてそれがまた頭の中でいつも引き起こさない反応を起こして。
 
 
 
みたいな。






 
  
 


今ある現実の枠組みを一回外すため。次元をそこからずらすためこれからも謎夜や言葉自身になっていこうと思いました。
 
 


 
 



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CARABATOツアーファイナル直前!~加藤オズワルドがつくったアニメーションPVについて~

6/12/2019

 

​今日も久世です。昨日も久世でした。


多分かなり高い確率で明日も久世でしょう。



多分あさっても久世でしょうか?


今日もCARABATOツアーファイナルの広報です。



 

今日はもう土曜で終わっちゃうので、PVの紹介。


このPVを創ってくれたのは、
友人の加藤オズワルド(以下オズ)というアニメ作家です。


 
「ツアーに行くからPVを作りたいんだ」という分かるような分からないような
オーダーをカタチにしてくれました。


きっかけは去年東京・高円寺で行った謎夜ライブの二回目に来てくれたことでした。正確に覚えてないけど、


「面白かった。映像的なイメージも湧くライブだった。タイミングあえば何か作れるかも」みたいなことを言ってくれたのです。



そして、このツアーが決まって、オズにお願いをしたと。


新曲の発表とかならあれですが、
ツアーに出るための映像ってあんまりないですよね。あるのかな?あんまり詳しくない。しかもアニメーション。



とにかく僕は、熊谷さんの溢れる落語リスペクトから来る、踊る「楽語(らくご)」と僕の幻想連作短編詩「謎夜(なぞよる)」の両方を統合するイメージが欲しかったんです。



そもそも、「踊る楽語」って言われても「謎夜」って言われても
全然ピンとこないし。
俺も熊ちゃんも二人とも勝手に言い出して創っててそんなジャンル無いから
「行きたい」って気持ちも湧かないw


それくらい商品として分かりづらいなって自覚はあってww


「一回観に来てくれたら分かる!」って思っててもその1回が難しいわけで。


もっと口当たりが良くてぱっと見で「おいしそう!」「食べたい!」って思いそうなものがそれこそたくさんあるわけです。




そういうものもいいけどこういうものもいいかも!と思って貰うためには
映像が早いかなぁと。現実から離れられるアニメーションが良いなと。



こういうことを口にしてオーダーしたわけではないんですが、
僕の頭の中にはそういうこともあって、オズにお願いしたんです。
なかなか難しいオーダーだったんじゃないかなと思うわけですが、
見事にカタチにしてくれました。
本当にお見事!!





個人的にはこのPVが、楽語、謎夜という個性的なので統一感のないふたつの作品を結びつける架け橋になってくれたと思っています。


「僕たちはこういう事をしている」というイメージとして、観客にも、出演者にも統一のイメージを持たせてくれる素敵な映像!


ここに向かえばいいんだというなんとなくの成功のイメージ。


この映像を作る過程で、熊谷と二人でやってる番組の企画で
オズに熊谷の踊りを見ながらスケッチを描いてもらう機会を設けられたので、
熊谷の踊ってる場面は本当に彼の動きに似ていてびっくりしました。



僕の方は、去年2回ライブをやったんですが、
そのときに読んだ謎夜の全てを渡して、そこから絵を描いてもらってます。
多分、下に貼り付けた謎夜がモチーフになっています。
もっとあるかもしれません。

これを読んで、映像を見たらまた違った気持ちになるかも。

はい!これで予習は完璧だね!


そして、遠慮したり迷ったりスケジュールとにらめっこしてるそこの君!


もう難しく考えるのはやめてとにかく僕に予約の連絡だ!かもん!
6月15日(土)13:00~ 錦糸町 シルクロードカフェ!
これがツアーファイナルの時間です!



そして、映像は2バージョンあります。見比べてみてくださいな!

​PVに使われた謎夜


謎夜 シャン

猫を探していた。 違う遠くの夜で会った猫。

シャンという名の猫だった。

見つかったシャンは犬だった。

右目には眼玉がなく、目の輪郭にリングがはまり、

中に青く丸い宝石がころここと音をたてて転がっている。

お前は本当にシャンかと聞くとそうだと言い、

凄く私のことを好いてくれている様子で足にすり寄った。

シャンは遠くの夜では良く暴れる猫で不思議な力を持っていた。

不思議な力が青い宝石になったのだろうか。

(謎夜 421夜目より抜粋)




謎夜 メリッサの思い出
メリッサがひっくり返るとパンが出る
歌を唄うと花が咲く
泣くとブーツが裏返る。

メリッサが立つと皆幸せ。
メリッサはいつもの時間に居なくなる。

(謎夜 1039夜目より抜粋)


謎夜 歌

月が4つある世界で
歌を見ている

1つは新月
1つは朔
残りは満月
歌は光る

(謎夜 91夜目より抜粋)

謎夜 目から海になっていく

魚のナイフで木を削る
たちまちナイフは泳ぎ出す

魚のナイフで人を刺す
たちまち人は海になる

私の身体は今、海だ。

(謎夜 5504夜目より抜粋)





謎夜 つまみ食い
地面に人差し指をつけ 星を舐める。

走る。

心臓に人差し指をつけ 鼓動を舐める

瞬きをした目に指をあて 暗闇を舐める。

まだできていない。この星も鼓動も暗闇も。

今はちょっと味見程度のつまみ食い

(謎夜 6503夜目より抜粋)


謎夜 構成表

鉄2


銅12


ニッケル水素3

濡れたての火

搾りたての船

探したての国

忘れたての目。

(謎夜 1022夜目より抜粋)



謎夜 身体
心臓を鍾乳洞に置いてみた。
上大静脈、下大静脈、上行大動脈、下行大動脈
を洞窟と繋げる。
洞窟が体になった。
深い洞窟のどこで、雫が落ちたか、次はどこに落ちるか
今何が中で起きているか全て分かる。
今、心臓は鍾乳石の色をして、なめらかな艶をだし、年に2度しか鼓動しない。


(謎夜 1462夜目より抜粋)

le mand

12/4/2018

 
10月27日に千葉でやった朗読の本番の映像です。


雰囲気が分かります。
初のクラブイベントに詩の朗読で出演というアウェイな感じかと思ってましたが。

なんせ、直前までの出演者さんはいい音楽でフロアを踊らせてるわけです。


でも始まってみたらみなさんこのストイックな状況をすんなり受け入れてくれてすごくちゃんと聞いてもらえて、とても良かった。

全然アウェイじゃなかった。
偏見はいかん。みんなTOMODACHI!!

途中で森くんにも踊ってもらってます。


観てくださってた方からお題もらって即興で詩を読んだところです。

なんと8分間を手探りで紡ぎました。

くそ楽しい。ヒリヒリした!またやろう森くん。


よかったらみてください。
音楽は盟友、市川ロ数
「今回音はただの要素だから、久世くんの朗読でしか前に進まないから。音を待たずに久世くんの勝手に読み進めて」
という最高の言葉に勇気付けられ、やりまくりました!

主催のゆうくん含め演者関係者のみなさんもありがとうございます!
またやりたい!では!

肌理/under my skin

10/10/2018

 
10月6と7にのことについて。FBで書いた文章を転記。

​今日と明日行われてるパフォーマンスの演出をしてます。
 
 

美術館で、展示されてる絵と踊る、絵の登場人物と共演するという実験的な取り組みです。

 
 
 

今、一回目が終わりましたー!
 
 

このパフォーマンスのリハーサルをしながら強く思うのは「絵がしあわせそうだな」ってことです。
 
 

見られることって幸せです。
見られるためのものを創ったのであれば。

 
 
 

絵はもう何千年も黙ってるけど
絵だって見られると、話しかけられると、
喜んでる。気がする。

 
 
 

今回の作品は、うまくいくと、いつもは私たちに見られてばかりいる「絵」の「自画像」を「人間が描いている」ように見えたりします。

 
 
 

絵の自画像を人間たちが描いている。
絵ももちろん見られてはいるけれど。

 
 
 

観ていて、創っていて、
そういう印象が凄く素敵です。
グッとくるポイント。
 
 
 

人間が描く絵の自画像。
 
 
 

絵は人が創るけど、完成した絵は、作者の手を離れて独立した宇宙に浮かんでるように僕には見えます。
 
 

みられることに特化した小宇宙。絵画。

 
 
 

絵画の起源は影だそうですね。
プリニウスによると。
 
 

今回は期せずして、絵と影のバランスも素敵な作品になりました。
 
 
 

偶然ですが、絵の起源から、絵を見ることを探すようなパフォーマンスになりました。

 
 
 

絵を踊る、人が踊る、影と踊る。
影が踊る、絵と踊る、人と踊る。
人と踊る、影を踊る、絵が踊る。

 
 
 

絵をみているとき、人間の身体に一体何が起こっているのでしょうか?
 
 
 

最初に絵を見たときの感動。
もしくは大好きな絵に出会ったとき、出会って「しまった」ときの体の不確かさ、心の消滅、明滅の仕方。

 
 
 

絵を見るってなんだろう?

 
 
 

今回は、一人のパフォーマーが絵を見るときに自分の中に起こったことを拡張させて、誇張して、表現していくカタチをとりました。

 
 
 

極私的な感覚をブラッシュアップさせて、それによって「絵を見ること」を観客がパフォーマーを通して追体験していく。

 
 
 

だから、パフォーマーの絵の見方で「絵を見る」ことになるんですが、
 
 

「私ならこうみるな」とか「私とは違うな」だったり「私も絵をみるときこうなる」だったり「自分が普段絵をどう見ているのか」も浮き彫りになっていく。
 
 

それも趣深いです。

 
 
 

  

見ること。
 
 

絵をみるってなんだろう?

 
 
 

絵と対峙する全ての起点は見ること。

 
 

見ることは、対象との距離を測ることでもあります。
 
 
 

例えばこの絵は自分のことなのか、それとも全く違うことなのか。
 
 
 

絵って、みて、心が動いたりするけど、こんな感覚始めて!ってなったりすることもあるけど、
その絵をみて心が動く場所は最初から自分の内側にある気がします。
 
 
 

まだ出会ってない絵でも。その絵のための場所は最初から自分の内側にある。

 
 
 

 みなさん壁画は好きですか?
 ラスコー洞窟、アルタミラ洞窟とか。
 僕は好きです。
 
 
 

抽象的な表現だけど、絵を見ることって「マックラな大きな洞窟の中を自分の目という光だけを手に歩く行為」でもあると思うんです。
 
 
 

そして、絵「ごと」に、自分の内側に洞窟があるような気がします。

 
 
 

人間の中に、最初から絵と対峙できる空間としての大きな洞窟が、絵の数だけは少なくともあるんじゃないかと思います。
 
 
 

もちろん、全部の絵にアクセス出来るわけじゃ無いけど、アクセスして、深くなにかを感じた絵、これから感じる絵の数だけ全て、自分の内側に洞窟がある。

  
 

地図も何も渡されていない洞窟の中を、
目だけを頼りに歩いていくといきなり大きな絵が現れる。

 
 
 

それは、とてつもなく呪術的なものだし、根源的なものだし、絵をみたことがない人は絵を見るってことだけで圧倒されてしまうんじゃないかな。
 
 
 

もし、人間に言葉がなかったら絵のことを言葉にして整理して逃げてしまうこともできない。

 
 

そんな感覚を知覚できたらなぁと思います。

 



 絵を見るって、洞窟の中に住む龍に会うみたいだって感じがします。
 
 

洞窟の中を照らすと大きな龍としか言えないわけのわからないものがいた。
優しいか優しくないかまだわからない。 
 
 

分かり合えるか分からない。
分かり合えるとかじゃないかもしれない。

龍が住んでいる、なにかの息遣いのある洞窟。
 
 

龍(絵)に出会う前は、龍がいないから、その洞窟が自分の中にいくつあってもあまり意識することはないけど。
 
 

その龍(絵)が自分の中に帰ってきたら、その洞窟はとてつもない存在感を醸し出してくる。

 
 

絵は龍!
そして、絵は一つの「意味」。
意味とは言葉にならない、「それ」を見たときにしか感じない、湧き起こらないなにかです。

 
 

もし、絵をみたとき「言葉」をしらなかったら。言葉にすることもできやしないから、ずっとぐるぐるぐるぐるムネの中で何かが渦巻く。大きな何かわからない、総体の見えない何か。
 
 

それって僕のイメージだと龍に近いんです。 


 
 

ただ、自分の目、思考、視点という、ロウソクやランタンの灯りのような不確かなもので照らし出される確かな世界のカタチが絵にはあって、それを通して、自分の心の中にこんなに巨大な穴がいくつもあいてたんだ、みたいなことを感じて貰えれば幸いです。

 
 

1つの絵に出合うために1つの洞窟にいく。
自分の目というランタンを持って。
そこはどんな洞窟なのか。
絵は内側にあって。鑑賞が終わっても。コチラが閉じない限り、その洞窟は閉じない。
 
 

 絵を見るときって一体なにをしてるんだろう。
 人に何が起こっているんだろう。
 
 

まだまだ探りたい。
いろんな角度で探したい。
 
 

良かったらまだ明日もやってるんで来てください!明日僕はいませんが。
作品がお迎えします。
今日の夜の回は居ます。
 
 

 あぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!1
 
 

 絵を見るって面白いなぁ。
 
 

今日はこの後18:30から。
明日も、16:00,18:30で、末広町でやってます。
さよならに、塩と胡椒という展覧会で、肌理/under my skinというのがパフォーマンスのタイトルです。

    久世孝臣

    詩人・演出家。
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