誰かの話しという作品はニコニコ生放送で毎週水曜日放送中の「山田玲司のヤングサンデー」 という番組から派生した美術部の美術展に出展した作品です。 この番組には僕も出演しています。 今回この美術展は二回目。 テーマは「悪」でタイトルは「ワルナスビ」 一回目は「エロス」でタイトルは「エロスサイコウ」 参加してる方の経歴もバラバラでユニークな展示でした。 去年も言葉の立体作品「貴女の話し」というのをつくりました。 それはまた話すとして、今回作った「誰かの話し」について語ろうと思います。 去年くらいから、僕はどれだけお金を出しても手に入らない言葉に興味を持つようになりました。 小説や随筆、エッセイ、図鑑、ビジネス書などではなく、 同時代に生きる人間が日常に使っている言葉。 それがこの世界にどのように存在しているのか知りたくなったのです。 簡単にいってしまえば、それはメモ書きだったり、日記や手帳だったりします。 人が人に見せない言葉。家の中で食べる家庭料理のような言葉の味を味わいたくなったのです。 今回の「誰かの話し」も「言葉の立体作品」です。言葉の立体作品。 何か不思議な力を持つ言葉だと思います。 言葉を展示すると、その言葉が持つ以外の意味が生まれ、広がっていく。 それは小説にも詩にも随筆にもない力。 作品として展示された言葉の面白さ、奥行きというものを創っていて感じました。 展示することで生まれる意味。日記や手帳はとても個人的なもので、本来その人にとって必要な情報が 書かれているだけのもの。 それを作品として展示することで社会と接点が生まれ、公共性が付加されるというのが、 とても面白かったです。 「書く」、「読む」から派生する思考の遊戯を作品にする。 展示されている実際の誰かの過去の日記や手帳。 ひっそりとたたずむ「自分の知らない時間」を見に行くという行為。 それだけで僕は創っていてぞくぞくしました。 こういう作品を創っていて発見した自分の気持ちがあって、 僕は普段美術家として活動しているわけではないので、 お芝居よりも、詩よりも「楽しい」だけを優先させて作品を創ってしまえるということです。 これがとても大きい。本当の美術家の方には申し訳ないなと思いながら、 門外漢でリスクもないのでワクワクだけで創ってしまっていました。 本当に創っている時間が楽しかった。 今回自分が創った作品はテーマが「悪」だったので 「過去を勝手に変える」ということをテーマにしました。 そんな権利は誰にもないのでとても悪いことな気がしました。 それを実際に過去を変えた例としての手帳と、 どうやって変えたかというのをレポートにして展示するという形を取りました。 下記、当日来場者に配布した、レポートとキャプションを記します。 以下です ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 素材
紙、他者の記憶 説明文 人の手帳や日記に他人(僕)が言葉を書き込むことで、 「知らない過去」とコミュニケーションが取れるのか考えてみました。 個人の記憶という所有物への他者の介在が引き起こす、未来への可能性の提示。 レポート ※作品を見る前にお読みください※ 【はじめに】 今回の作品は他人の日記や手帳に勝手な書き込みを加えることで、他人の過去をしれっと変えてしまえるのではないかというぞくぞくする思いつきから始まりました。 「過去変えられる!!まじかよ!すげぇ!」思いついた日のことを思い出すと今も興奮します。 今回は、僕のライフワークとなった「過去を変える」他人の手帳を使った制作品を 「悪」というテーマにのっとり、「戯」(2作品)・「夢」・「魔」(2作品)・「事」の6つ発表します。 タイトルはそれぞれ作品の性質を表しています。 (詳しくはテキスト後半を参照してください) 人の手帳を見るのは背徳的な感じがして個人的にとても楽しかったです。 僕の作品の根幹には常に悪戯好きの少年のどきどきと、ある種の変態性が潜んでいます。 同志たちはこの機会に人の手帳に思う存分触れてくださいね。 まとめると、極私的な、自分の為だけに書かれた言葉である日記や手帳。 その中にひっそりとある過去の記憶・生活の記録。 そういうマテリアルに他者(僕)が書き込み(落書き)を加えることで、過去だけでなく、 現在や未来ともコミュニケートするような作品です。 これで大枠はお伝えしましたのでもうお手に取っていただいても意味がわからないことは無いと思います。 ただ、テキストも作品で、内容の5割を占めています。 出来ればテキストを読みながら(もしくは読んでから)作品を見ていただきたい。 その方が面白いです。じっくりと楽しんでいただければ幸いです。宜しくお願いします。 【作品について】 元々僕は時間や記憶の曖昧さに興味を持っています。 「認識」という行為に興味をもっていると言い換えてもいいかもしれません。 認識をしたことがその人にとっての真実である。 認識していないものは例え事実でも真実ではなく…みたいなのはもういいや。 ただ、のんびりしたいなぁって。 解放されたいなぁって。 時間とか記憶とかそういうモノにも融通利かせて欲しいなって。 「過去って変わるよ!変えとく変えとく!」くらいの余裕を持ちたい。 その方がかっこいい大人になれる!だから、過去を変える方法ないかなぁっていつも思ってました! そこに湧いてきたのが 「他人の日記や手帳を借りてそこに落書きをするという悪戯だけで過去が変えられちゃう!!」 という思い付きです。 それがこの作品のほとんど全てです。 【過去を変える旅】 人の過去を変える!自分の知らない時間を変える! この思いを遂げるためには、素材となる他人の過去が必要になります。 どれだけ親しい恋人や友人や親兄弟にも、膨大に「自分が知らない時間・知れない時間」というものが存在します。(24時間365日一緒に居るのは不可能だと思います) タイムマシンで過去に行けるわけでもない我々人類は常に現在という場所に立脚し、 確かにあった「今日まで」と、ある筈の「明日」に挟まれて生きています。 基本的には僕の知らない時間が世界のほとんどです。 そこで僕は、今年の7月ごろから、過去集めを始めました。 冒険の旅に出るようにワクワクしながら貴重な過去を集めたのです。 (具体的にはSNSやHP、個人的な知人への呼びかけにより、 作品の素材となる日記や手帳、メモ帳、果ては幼いころのノートや小論文まで、 本来自分が知りえない過去を集めました。) そして、手元に届いたそれを読み漁り、どのように【自分が介在していなかった他人の時間】と コミュニケーションを取ろうか思考の旅に出ました。 (人様の大事な日記にどんな落書きをするかニヤニヤ考えてました) 今回僕が採った手法は2つあります。 ・1つ目 他人の日記や手帳に本来なかった予定や日記を書き加える。 当初から思いついていたオーソドックスなものです。 例えば書き込んだ手帳を本人に返却し、5年後に持ち主が見返したとき、 僕の書き加えた予定や文章を見分けられるのでしょうか。 見抜けなければ過去は変わってしまったということになります。 2011年の手帳の9月23日の場所に元々は何も書いていないとします。 そこに僕が「飲み会」と書き、持ち主が「この日は飲み会だったんだなぁ」と思えば過去は変わったことになります。 今回、この1つ目の方法を使った作品として、 なるべくリアルに筆跡を真似てありそうな予定を書き加えた「魔」(2作品)と、 筆跡の真似もせずファンタジーな内容を書き加えた「戯」(2作品)を展示しました。 ・2つ目 書き込むのが予定や日記ではなく、僕の作品(詩)を 書き加える。 そうすることで持ち主の過去が作品として客体化され、 個人の所有物である記憶や記録だったものが公的な意味を持つ作品となり、 その所有権が私的で絶対的なものから公的な意味も含むものに移り変わることで、 少し自分の過去から解放され、日記や過去が今までと違う意味を持つものになるのではないかと考えました。 これも過去が変わったといえるのではないでしょうか。 2つ目の手法を取ったのは今回「夢」という作品になります。 どちらの場合も、僕が書き込んだということは伝えています。 見抜けずとも、実際にあった過去と違うモノが戻ってきたということを持ち主は認識します。 何か所書き込んだのかは伝えないので、すべて見抜いたつもりでもまだ書き込みが残っている可能性があります。 この「疑い」を張らせない時点で、 今回お預かりした手帳の持ち主全ての過去を変えたといえるのではないでしょうか。 さらに、自分の過去(日記)に、2017年(現在)の私との創作の思い出が付加されます。 例えば10年後の未来、 それは手帳を書いた過去か現在(2017年)のどちら側に比重が置かれた日記や手帳になるのでしょう。 改めて見直したとき、どういう思いで思い出すのでしょう。過去のことを純粋に思い出すのか、 そういえば、これ「落書きするって言ってたバカな人がいて貸したんだよなぁ。 この予定もじゃぁウソかもしれないな」と僕との創作の思い出をメインに思い出すのか。 どちらにせよ。今までと意味合いが変わります。 日記を書いた時点から見た未来(2017)の他人(久世)が行った過去の自分への悪戯が、 そのまま過去の自分の行動の既成事実になってしまう。 個人の記憶という所有物へ他者の介在が引き起こした、未来への可能性。 なんだかこの制作が時間というものを少しゆがめるような不思議な行為だと思いました。 度を越した「悪」い遊びのような気もしました。 時間は現在から未来へ流れているのでしょうか。 過去は変わらないのでしょうか。 僕は変わると思いました。 実際にこの行為によって過去が変わるのかは人それぞれかもしれません。 また、大事な過去は変えられないかもしれません。ただ、変わる場合もあるでしょう。 そのことが僕にとって大きな安心となりました。 失われた日へ、あったかもしれない日を書き足す。 僕にとってこの行為は何より刺激的でした。 時間や記憶に対して、より豊かな捉え方や認識が出来ればいいといつも思います。 今後は手帳(日記)の持ち主にも協力してもらって、 本人の筆跡で無かった予定を書き込んでもらって、 よりリアルに近い、空想・妄想の過去を作ってみようかなということも思っています。 ちなみに「事」という作品は来年の僕の手帳です! 落書きしまくって僕の来年の予定をつくってください。 どんな予定でもどんな日記でも書いてくれていいです。 ありがとうございました。 日記や手帳をくれるという方は、本人に直接伝えるか下記までご連絡ください。 [email protected] ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー レポートは以上。最後にもう少しシリーズの説明を。 魔・戯・夢・事 これに「悪」を足すと全て二字熟語になります。 魔 この行動は過去を変えることが出来たのか。 ※今回このシリーズは2冊創っています。 まず筆跡を真似しました。 本人のスケジュールのパターンを紐解き、 「飲み会」や「レッスン」のような言葉を書き足す作業はとても背徳的でした。 もう一冊は医療関係の人のノートでした。 医者ではない業者の方とよく会われる方。 一番人に説明しやすいわかりやすい書き込みとして 「〇〇とTEL」のようなことを描きました。 たくさんの人間に会ってる方の手帳にそれを書き込むことで 顔は思い出せないかもしれないが何かの業者「○○」さんとTELした記憶が発生し 居もしない人間が一人子のノートの持ち主の方の中で生まれました。 とても怖いことだと思いました。 戯 あるいはあったかもしれない過去の形。 ※ 今回このシリーズは2冊創っています。 「魔」はリアルにやりすぎて手に取った方がまったく面白くないかもしれないので、 こちらはとことんふざけました。 使った手帳は2002年のもので。持ち主は女性。 本人が絶対に書かない予定を書きました。 例 ・ココロヲトキハナテ ・3CMだけ浮く ・新しい首筋が届く ・調和 ・快楽のため ・ノーヒットノーラン達成(5度目) などです。そうすることによって、2002年を思い出したくてこの手帳を見ても2017年の久世がとてもうるさいので 2002年にアクセスしずらい。それにアクセス出来たとしても同時に2017年も思い出さずにおれない。 そうなるとその手帳を見て思い出す過去が変わってしまう。 そして、2002年の手帳の所在地は2002年だけの筈。でも2017年にも所在地が出来てしまった。 手帳の所属する時間が変わった。 もう一冊もコンセプトは同じ。もう少し説明しづらく戯れた。 夢 ただ、夢は醒める。 これは一人の女性が結婚して離婚して再婚するまでの何年かの日記です。 時系列が分かるようにところどころテープで止めて編集しました。 極個人的な体験をつづったものを展示して評価の対象となる作品としてしまうことで もう個人のモノだった時間には戻れない。過去が変わってしまった。 そして、最後に僕が詩を書き足すことにより、本人が見直した時 「勝手なこといわないでよ」 でも 「少し心が楽になった」 でも 「私の過去は他人から見てこういう言葉を書き足したくなるものなんだ」 と思うことで本来その人の個人的な感情のみを思い出すツールであるものから 少し他人の目線が入り、客観的な感覚で観れて距離が少し取れるようになり、 そのことで過去の自分と対峙する際に認識の仕方が変わってくる。 そうなると過去が変わったことになる。 ということで、魔・戯・夢は過去の変え方が違う。 事 久世の来年には何が起こるのか。 みんなで書いてみよう!未来で遊ぼう! この作品は他人の過去を改竄した贖罪の意味も含めて、 来年、2018年の予定を明け渡した。 これに鑑賞者が書き込みを加え僕の未来を決めることで起こる何かを見てみたかった。 ・西日本を荒らす ・実家に帰る ・パリから帰国 などの様々な来年の予定を書き込まれた。 それを守れるかどうかを来年作品にしてもいいなぁと思った。 自分が生きてて自分の知らない過去との対峙はとても楽しかった。 まだまだ日記や手帳は集めている。違うアプローチをしていきたい。 |