11月28日。放送用プレゼンメモ。
※あくまでも、コラムじゃなくてメモ公開って感じ※ ※書きつつ、あまり頼らない。無視出来たらする※ ラッチョドリーム トニー・ガトリフ監督のジプシー3部作のその2 「Latcho Drom [1993]」→ラッチョドローム→(ロマ語でいい旅をという意味の映画。) (1は「Les Princes(1982)」3は「Gadjo Dilo [1997」 ) まず、今回音楽伝記映画というジャンルについて僕の考えを話します。 音楽伝記映画って僕、ものすごい深い感動が出来ないジャンルなんですよ。 すごい好きではあるんですけど。打ち合わせでもいったんですが。 感動できないんじゃなくてしちゃいけないって気づきました。 言葉にするとそうなる。 何故かっていうと映画にすると長くても3時間。 ながくても3時間しかないわけですよ。人の人生が! レイチャールズでも、マイケルジャクソンでも、ジミヘンでも、 エディットピアフでも、その人の人生を映画にするわけですから、 3時間では本来おさまらないわけですよ。 72年の人生を判断するには少なくとも72年は自分の中でかかるくらいの気持ちです。 もちろん、「似てる!」だったり、カメラワークとか 「その観点からこの人をまとめたか」だったり「知らなかった!」だったり 感動できる点関心する点はたくさんあります。 でもこのジャンルの映画は人生のオールタイムベストに入らないんですよねぇ。 映画見て泣くんですけどね。 ベストアルバムきいてる感じなんです。 ベストアルバムきいたら僕はファーストアルバム聞いて何か気になるの聞いて、 自分がこの人のどこに共感してるのか探りたくなるんです。 音楽伝記映画も、みてから、その映画で取り上げられていたその人の 人生の気になった場所を調べようという感覚になる。 だから音楽伝記映画って、それ単体で僕にとって完結できないもんなんですよ。 見て楽しんだからには完結させちゃダメって思うんです。 ここで描かれてる悪人も善人も主人公もただのとある一面でしかない。 どんなに感動しても、さらっとこの人のことを知るきっかけになるためのものだから それを丸ごと絶対に受け入れないし、映画としてだけは受け入れられないんです。 一人もしくはそれを取り巻く何人もの人々の人生ですから。 もっと自分で知ろうとならないとその時の感動が嘘になってしまうと 僕はおもうんですよ。 僕はね。その怖さがあるから、一番いい映画郡には置かない。 知識のある人は「なるほどこの観点からまとめたからこのエピソード抜いてるのね」 みたいなことが分かるからいいだろうけど、僕はわからないから、良くても手放ししない。 人の人生を2時間とかでまとめて人が見にきて泣くっていうのも まあなんか違和感あるんです。 なんなんやろうこれって。 その人が死んだあと2時間でまとめて皆に見せて泣くために その人、生きてたわけじゃないのに、安らかに眠りたいかもしれないのに。 いえい!むちゃうれしいってとか思う人もいるやろうけど。 人間を3時間で知った気になるのは違う気がするから、評価が難しいんです。 楽しみますけど。 そういう違和感が根本的にあるジャンルなんですw で、その中で私が選んだ音楽映画、 「誰か」に焦点を当てた伝記映画ではないですが、 とある、音と歌と踊りと旅を主体に生きてきた民族の伝記映画です。 トニー・ガトリフ監督のジプシー3部作 その2弾 「Latcho Drom [1993]」→ラッチョドローム→いい旅を。 「Les Princes(1982)」「Gadjo Dilo [1997」 この映画はロマ、ジプシーの映画。 (ロマ、ジプシーは呼称はどちらでもいい。 本人たちは気にしてない。他に本人たちが使ってる適切な言い方あったけど忘れた) ジプシーの11世紀くらいから始まる千年の歴史と軌跡。 長い長い流浪の旅を1時間40分にまとめた映画です。 監督自身もロマ(北インドのロマニ系に由来するジプシー)のルーツを持つ アルジェリア生まれの監督です。 出ている人もすごい! 監督:サリー・ポッター耳に残るは君の歌声でも出てて、 ジプシーキャラバンでジョニーデップも好きって言ってた、 世界的人気バンド、ルーマニアのタラフ・ドゥ・ハイドゥークス、 キース・ジャレットやサン・ラーがほめて、 あのジェネシスのピーターガブリエルとの共演で知られ、 ジャンゴ・ラインハルトの最も忠実な後継者といわれるギタリスト、チャボロ・シュミット。 (僕のスウィングっていうガトリフのほかの映画にも出演。) 魂震わせ系フラメンコ歌手ラ・カイータなど 広いくくりでのジプシー音楽のスターが、きら星のごとく登場しています。 そんなミュージャンを迎えながら、千年の旅は進む 諸説ある部分もありますが、ジプシーは11世紀ごろに インドのラジャスタンから、エジプト、トルコ、ルーマニア、 ハンガリー、スロバキア、フランスを経て、スペインのアンダルシアにたどり着くんですよ。 この映画は1993年の映画 ジプシーは文字を持たずに口伝え、とか歌ですべてを伝承してきている らしいから、この25年でもうこの映画の中でしか 聴けなくなった音楽も存在しているかもしれない。 そういう意味でも楽しんでほしい。 この映画がそれまでの音楽ドキュメンタリー映画と違うのが、 セリフ、ナレーションをほとんど一切使わずに、 音楽と歌と踊りの「映像」だけで、 1000年の歴史を描いていること。 結構本物のロマの普通の人みたいなのもたくさん出て ドキュメンタリーっぽくなってる→ でも用意周到に計算されたカット割りがドキュメントじゃないことがわかる。 歌ってるシーンが多く出てくるけど、 その歌詞も字幕ほとんど出ない。 基本ほとんどない。 最初のラジャスタンとか、 トルコとか移動していくが、 確か、歌、踊り、音楽が変わるだけで、 今どの地に行ったのか、その当時何があったのか一切語られません。 それがまた凄い。 でも移動するたびに、人も歌も踊りも変わっていく。 どの地に行っても共通するリズムはあるけれど、 各地域に移動するたびに音楽が微妙にその土地の音楽の影響を 受けているところも面白。 踊りも少しずつ変わっていくのも面白。 実際ジプシーがどういう経緯で大陸を流れて行ったかというのが 理解じゃなく体感できるんですよ。 ナレーションとか入ると「あーこうなんだ!」って頭で理解することになって、 途端にお勉強になっちゃうんすよ。 脳が。あー、それくらいの時代か。あー。そういう社会情勢かー。 あーだから移動したかってなると。 もう、自分の体験じゃなくなってしまうんすよ。 いわゆるお勉強しちゃだめなんです。 とあるサイトによると、 ラジャスタンでは歌は神とともにあるみたいな歌、 「家族が恋しい、家族のもとに帰る」みたいな内容、 あと祝詞というか、愛してるとかお祭りのような。 それがヨーロッパに入ると、 呪われた宿命をうたう歌詞になり 「生きる時間の全てを追放し放浪する」、 「わたしたちの旅を終わりにしてください」といった内容になる。 腕に囚人番号の刺青のあるおばあちゃん。アウシュビッツにいたのか? その生活をうたう。 スペインだと。 歌や踊りを楽しむ感じ。でも物悲しいフラメンコ。 この映画の、テーマは生きることだと僕は思ってて。 勉強することって生きることじゃなくて。 生きることそのものが勉強すること。 だから、記憶とか記録とかすることも大事だけど、 それよりもこれを見て、どう心が動いたかを知り、 それで自分の心の形の一部を知れるのがこの映画いい! 料理の作り方だけ読んでも料理はそこまでうまくならないというか。 ジャージーボーイズ見てもフォーシーズンズの物語を体験するだけ。 フォーシーズンズであることを体験できない。 でもこれは言葉で極力説明しない分すごく体験に近い映画なんです。 客観的なナレーションが着かない分、この映像が自分の体験に近くなるんです。 文化の変遷、民族が移動すること、千年の時間が体験・体感できるんです。 もちろん 「何にも所属しない生き方って何だろう」とか 「故郷がない民族」ってなんだろうとか。 色んなことを思うんですが。 (余裕あればテンポ落として話す) 僕が見た当初一番強く思ったのは。 人間と音楽の関係について。 ジプシー音楽って、生活なんですよ。 歌詞もなにもかも。道具もボロボロだったりするし。 生まれてこの方、一番最初に僕が親しんできた音楽は、 ロックもポップスもジャズも商品としてのものだった。 そのあと、魂を揺さぶるということ、 その人の人間力だったりが音楽を通してみえてくるわけですけど。 それでも、ショーとして、特別なものが音楽だったんです。 人を楽しませることが前提の音楽なんです。 それってやっぱりどっかで商品というか日常じゃないんです。 少しだけ聞いたクラシックも、 昔から宮廷で作られて聞かれてきた選ばれた人の音楽っていうイメージで。 今でもコンクールとかあるし。 音楽ってのは楽しいし必要なものだけど、特別なものだったんですよね。 こうCDを買って、聞いてずっと聞いて趣味でバンドやって、 プロでバンドやって生活の中に音楽が溶け込んでる人はいると思うけど ジプシーと音楽っていうのは 生活そのものが音楽、生きることが音楽、もっというと、 その人自身が一つの音楽なんです。 この映画民族が1000年移動してる様を捉えた映画であるとともに、 音楽が1000年移動しているっていう映画なんす。 その感じがたまらなく好きなんです。 (ノリで言葉思いつくままに) 踊りと歌、音楽、 そして技巧、カット割りを駆使した映像とういう詩が入ってきて この映画は成り立ってる。 心がどこに向かうのか知ってほしい。 知識じゃなく体験としての一つの民族の1000年を知ってほしい。 音楽と自分との在り方を探るのもいい。 ロックだけが魂を震わせるわけじゃない。 音楽は人生だ。そして人生も音楽だ! 人は一つの音楽、世界は一つの交響曲。 これをこの映画から教わりました。 補足 ケルト、ファド、ブエナビスタのキューバ音楽はそれに近い。 ブエナビスタの映画との違いはライブハウスとか出てこない。 現代のショー的なサクセスストーリー的なものは出てこない。 ※似た言葉・嵌まれば話す※ 音楽とともに生きるじゃなくて、 自分たちはそれぞれ一つの音楽だって感覚。 1つの曲一つのバンド、グループ、ジャンル、 ジプシーにとって、音楽は自分たちが生きる手段お金を稼ぐ手段でもあるけど、生きることそのものでもあるし そういうことすら考えないくらいそこにあるもの。 |