皆様こんにちは!
来月のワークショップのお知らせです。 来月は経緯は省きますが、C.C.C THEATERさんに呼んでいただいてのワークショップとなりまして、 都内で普段行うときよりも1000円安い、2000円での開催になります。 お得なので!是非! この日は終わった後、参加者の皆さんで残れる方は残って懇親会を開くことが決定していまして。 そういう意味でもゆっくりとワークショップの感想などをシェアできるのでとてもたのしいと思います。 宜しくお願いいたします。 4月19日(金)18:00~ 場所:場所:茅ケ崎市文化会館 練習室2 参加費:2000円 対象:中学生〜大人 【裸で槍を持つ男】 〜言葉を身体で冒険しよう〜 というワークショップを開催します 下記、概要です。 気になる方は是非! 【ワークショップ概要】 言葉と身体を使ってわいわい楽しみ、 日常の見え方がちょっと変わる秘密の時間! 対象者は演技や舞台表現、詩や言葉に興味のある方はもちろん、 言葉ってなんだろう?身体ってなんだろう?伝えるってなんだろう? ということに興味がある方やいつもとちょっと変わったことがしたいと思う好奇心がある方なら誰でもご参加いただける内容です。 たくさんのジャンルの方が交じり合うことで、毎回違う発見のあるワークになります。 ワークショップの目的は裸になること。 そして、自分がどんな槍を持っているのかを確かめること。 それをコミュニケーションの基礎である「伝える」 生きていく上での基礎である「感じる」 この2つを通して探っていきます。 僕が演劇を続ける中で分かった大事なことは、演じるということは僕にとって演じないということでした。 詩作を続ける中で分かった大事なことは、伝わる言葉は感じる身体から生まれるということでした。 そもそも裸とはなんだろう。 人間ってどんな形をしてるんだろう? 人間ってどんな色をしてるんだろう? 自分とは?他人てなんだろう? 自分だけの「感覚」を「言葉」にする方法とは? そして、それを伝える方法とは? 言葉にとっての身体、身体にとっての言葉って? 感じる身体・伝わる言葉ってなんだろう。 毎日使う「言葉」と自分の「身体」の知らない一面を、普段会わない方と普段しないことをしながら見つけていく、少し日常からはみ出した内緒の時間に内緒の言葉と内緒の身体。 みなさんと様々な発見に満ちた内緒の時間が過ごせるのを楽しみにしています。 素直な自分が、自分の知らない自分を教えてくれる時間になりますように。 申し込み先は下記まで。 https://ccctheater2017.wixsite.com/ccctheater/events もしくは、私に直接ご連絡いただいても構いません。 takaomiomi@gmail.com 「参加希望」と、性別、名前(ニックネームでも可)を書いて送ってください。 質問も上記までどうぞ。 仕事帰りで多少遅れる方も大丈夫です。 ちなみに、ワークショップはしたくないけど、 ワークショップ受けてる人たちの身体をドローイングをしてみたい、 写真を撮ってみたいって人も返信ください。 参加する条件とか調整したい。 言葉を使わないで人間や世界の形を探る他のジャンルのクリエイターが がこのワークショップみたり受けたらどうなるんだろう?何を感じるんだろう? きっと僕には感じられない人間のかたちが他の人には見えてくるから、ワークショップしながら、言葉の人間の僕に見えてきたものと、絵や立体で世界を捉える人間に見えてきたものがどう違って、人間て結局いまどういうカタチに見えたのかという話もしたいなとおもいます。 よろしければ、答えのない、人間てなんだろうってことを一緒に探す仲間になってくださいな! 人の動きを瞬時に捉え、線にするのは良い訓練になるそうです。 僕はここ10年くらい、自分の現場のリハーサルや稽古場に、リハの風景描きたい!流れるように動く人を描きたい!という問い合わせのあった画家の方にリハ、稽古風景を描いてもらってますが、その人たちが言ってました。 画家の目、写真家の目、詩人の目、そこにある身体。 もちろん。いままで来てもらったことはないけど、書家の方も、 彫刻家の方も希望があればお問い合わせ下さい。 僕がやるワークショップからどんな創造の種ができるのか楽しみです。 長くなりましたね。皆様お待ちしております。経緯は省きますが、C.C.C THEATERさんに呼んでいただいてのワークショップとなりまして、都内で普段行うときよりも1000円安い、2000円での開催になります。お得やで! 皆様こんにちは!
今年はワークショップをやって行こうと思っています。 今月は 3月20日(水)18:15~ 場所:高円寺駅徒歩2分 ゆうゆう高円寺南館 【裸で槍を持つ男】 〜言葉を身体で冒険しよう〜 というワークショップを開催します 下記、概要です。 気になる方は是非! 【ワークショップ概要】 言葉と身体を使ってわいわい楽しみ、 日常の見え方がちょっと変わる秘密の時間! 対象者は演技や舞台表現、詩や言葉に興味のある方はもちろん、 言葉ってなんだろう?身体ってなんだろう?伝えるってなんだろう? ということに興味がある方やいつもとちょっと変わったことがしたいと思う好奇心がある方なら誰でもご参加いただける内容です。 たくさんのジャンルの方が交じり合うことで、毎回違う発見のあるワークになります。 ワークショップの目的は裸になること。 そして、自分がどんな槍を持っているのかを確かめること。 それをコミュニケーションの基礎である「伝える」 生きていく上での基礎である「感じる」 この2つを通して探っていきます。 僕が演劇を続ける中で分かった大事なことは、演じるということは僕にとって演じないということでした。 詩作を続ける中で分かった大事なことは、伝わる言葉は感じる身体から生まれるということでした。 そもそも裸とはなんだろう。 人間ってどんな形をしてるんだろう? 人間ってどんな色をしてるんだろう? 自分とは?他人てなんだろう? 自分だけの「感覚」を「言葉」にする方法とは? そして、それを伝える方法とは? 言葉にとっての身体、身体にとっての言葉って? 感じる身体・伝わる言葉ってなんだろう。 毎日使う「言葉」と自分の「身体」の知らない一面を、普段会わない方と普段しないことをしながら見つけていく、少し日常からはみ出した内緒の時間に内緒の言葉と内緒の身体。 みなさんと様々な発見に満ちた内緒の時間が過ごせるのを楽しみにしています。 素直な自分が、自分の知らない自分を教えてくれる時間になりますように。 申し込み先は下記まで。 takaomiomi@gmail.com 「参加希望」と、性別、名前(ニックネームでも可)を書いて送ってください。 質問も下記までどうぞ。 仕事帰りで多少遅れる方も大丈夫です。 ちなみに、ワークショップはしたくないけど、 ワークショップ受けてる人たちの身体をドローイングをしてみたい、 写真を撮ってみたいって人も返信ください。 参加する条件とか調整したい。 言葉を使わないで人間や世界の形を探る他のジャンルのクリエイターが がこのワークショップみたり受けたらどうなるんだろう?何を感じるんだろう? きっと僕には感じられない人間のかたちが他の人には見えてくるから、ワークショップしながら、言葉の人間の僕に見えてきたものと、絵や立体で世界を捉える人間に見えてきたものがどう違って、人間て結局いまどういうカタチに見えたのかという話もしたいなとおもいます。 よろしければ、答えのない、人間てなんだろうってことを一緒に探す仲間になってくださいな! 人の動きを瞬時に捉え、線にするのは良い訓練になるそうです。 僕はここ10年くらい、自分の現場のリハーサルや稽古場に、リハの風景描きたい!流れるように動く人を描きたい!という問い合わせのあった画家の方にリハ、稽古風景を描いてもらってますが、その人たちが言ってました。 画家の目、写真家の目、詩人の目、そこにある身体。 もちろん。いままで来てもらったことはないけど、書家の方も、 彫刻家の方も希望があればお問い合わせ下さい。 僕がやるワークショップからどんな創造の種ができるのか楽しみです。 長くなりましたね。皆様お待ちしております。 今年最初のワークショップを地元京都で行います。
詩人が行う楽しく裸を探すワークショップ 裸で槍を持つ男 ~感じる身体・伝わる言葉~ 【日程 】 2月6日(水)18:00〜21:00 ※遅れる方は連絡をお願いします。 【場所】 京都市会館 左京東部いきいき市民活動センター 〒606-8432 京都府京都市左京区鹿ケ谷高岸町3−2 https://goo.gl/maps/4EaFvmaugx72 【持ち物 】 メモ帳、紙、動きやすい服装 楽しむ心 【参加費 】 2000円 【申込先 】 takaomiomi@gmail.com 上記アドレスにお名前、年齢、性別を書いて、送信してください。 久世からの返信をもって申込完了とさせていただきます。 「裸で槍を持つ男」概要 久世孝臣、2019年、久し振りにワークショップを行います。 誰でも参加できる、身体と言葉を使ってわいわい楽しみ、日常がちょっと変化する魔法のようなワークショップ。 ワークショップの目的は裸になること。 そして、自分がどんな槍を持っているのかを確かめること。 それをコミュニケーションの基礎である「伝える」 生きていく上での基礎である「感じる」 その2つを通して探っていくワークショップです。 人間ってどんな形をしてるんだろう? 人間ってどんな色をしてるんだろう? 自分とは?他人てなんだろう? 自分だけの「感覚」を「言葉」にする方法とは? そして、それを伝える方法とは? 色んな方がいた方が面白く、発見の多いワークショップになるので、演技や詩に興味のある方だけでなく、話すってなんだろう?言葉ってなんだろう?身体ってなんだろう?伝えるってなんだろう?ちょっと変わったことしたいなーなんて思ってる方、お待ちしています。 演劇を続ける中で分かった大事なことは、演じるということは僕にとって演じないということでした。 詩作を続ける中で分かった大事なことは、伝わる言葉は感じる身体から生まれるということでした。 大人になると生きていく中で素直になることを求められる機会は少なくなっていかと思います。 そして、TPOに合わせた様々な役割を果たすため、知らない間に多くのものを着込んでしまっています。それが自分に似合うか似合わないか関係なく。状況がそうさせる。 それは社会生活を送る上で当然のことです。 ただ、自分の素直って何か、自分の裸って、むき出しの気持ちって何か。 あれ?自分はそもそもどんな裸をしているのか。 たまにはそれを確認してみませんか? 本当は自分、こんなこと思ってたんだと発見してみませんか。 そうすることで、知らない間に着込んでしまっていたものが何であるか自分が何を望むのか判断しやすくなると思います。 裸のカタチは一人一人違います。 裸の色もそれぞれ違います。 自分だけの本当の裸を知ることで、自分の言葉を話せるようになっていきます。 自分の裸を知ってこそ、今自分にどんな槍(武器)があるのか、これからどんな槍を持てばいいのか、他人がどんな槍を持っているのか分かります。 楽しみながらそれを探っていきましょう。 素直な自分が、自分に必要なものを教えてくれる時間です。 みなさんと様々な発見に満ちた時間が過ごせるのを楽しみにしています。 10月27日に千葉でやった朗読の本番の映像です。
雰囲気が分かります。 初のクラブイベントに詩の朗読で出演というアウェイな感じかと思ってましたが。 なんせ、直前までの出演者さんはいい音楽でフロアを踊らせてるわけです。 でも始まってみたらみなさんこのストイックな状況をすんなり受け入れてくれてすごくちゃんと聞いてもらえて、とても良かった。 全然アウェイじゃなかった。 偏見はいかん。みんなTOMODACHI!! 途中で森くんにも踊ってもらってます。 観てくださってた方からお題もらって即興で詩を読んだところです。 なんと8分間を手探りで紡ぎました。 くそ楽しい。ヒリヒリした!またやろう森くん。 よかったらみてください。 音楽は盟友、市川ロ数 「今回音はただの要素だから、久世くんの朗読でしか前に進まないから。音を待たずに久世くんの勝手に読み進めて」 という最高の言葉に勇気付けられ、やりまくりました! 主催のゆうくん含め演者関係者のみなさんもありがとうございます! またやりたい!では! 11月28日。放送用プレゼンメモ。
※あくまでも、コラムじゃなくてメモ公開って感じ※ ※書きつつ、あまり頼らない。無視出来たらする※ ラッチョドリーム トニー・ガトリフ監督のジプシー3部作のその2 「Latcho Drom [1993]」→ラッチョドローム→(ロマ語でいい旅をという意味の映画。) (1は「Les Princes(1982)」3は「Gadjo Dilo [1997」 ) まず、今回音楽伝記映画というジャンルについて僕の考えを話します。 音楽伝記映画って僕、ものすごい深い感動が出来ないジャンルなんですよ。 すごい好きではあるんですけど。打ち合わせでもいったんですが。 感動できないんじゃなくてしちゃいけないって気づきました。 言葉にするとそうなる。 何故かっていうと映画にすると長くても3時間。 ながくても3時間しかないわけですよ。人の人生が! レイチャールズでも、マイケルジャクソンでも、ジミヘンでも、 エディットピアフでも、その人の人生を映画にするわけですから、 3時間では本来おさまらないわけですよ。 72年の人生を判断するには少なくとも72年は自分の中でかかるくらいの気持ちです。 もちろん、「似てる!」だったり、カメラワークとか 「その観点からこの人をまとめたか」だったり「知らなかった!」だったり 感動できる点関心する点はたくさんあります。 でもこのジャンルの映画は人生のオールタイムベストに入らないんですよねぇ。 映画見て泣くんですけどね。 ベストアルバムきいてる感じなんです。 ベストアルバムきいたら僕はファーストアルバム聞いて何か気になるの聞いて、 自分がこの人のどこに共感してるのか探りたくなるんです。 音楽伝記映画も、みてから、その映画で取り上げられていたその人の 人生の気になった場所を調べようという感覚になる。 だから音楽伝記映画って、それ単体で僕にとって完結できないもんなんですよ。 見て楽しんだからには完結させちゃダメって思うんです。 ここで描かれてる悪人も善人も主人公もただのとある一面でしかない。 どんなに感動しても、さらっとこの人のことを知るきっかけになるためのものだから それを丸ごと絶対に受け入れないし、映画としてだけは受け入れられないんです。 一人もしくはそれを取り巻く何人もの人々の人生ですから。 もっと自分で知ろうとならないとその時の感動が嘘になってしまうと 僕はおもうんですよ。 僕はね。その怖さがあるから、一番いい映画郡には置かない。 知識のある人は「なるほどこの観点からまとめたからこのエピソード抜いてるのね」 みたいなことが分かるからいいだろうけど、僕はわからないから、良くても手放ししない。 人の人生を2時間とかでまとめて人が見にきて泣くっていうのも まあなんか違和感あるんです。 なんなんやろうこれって。 その人が死んだあと2時間でまとめて皆に見せて泣くために その人、生きてたわけじゃないのに、安らかに眠りたいかもしれないのに。 いえい!むちゃうれしいってとか思う人もいるやろうけど。 人間を3時間で知った気になるのは違う気がするから、評価が難しいんです。 楽しみますけど。 そういう違和感が根本的にあるジャンルなんですw で、その中で私が選んだ音楽映画、 「誰か」に焦点を当てた伝記映画ではないですが、 とある、音と歌と踊りと旅を主体に生きてきた民族の伝記映画です。 トニー・ガトリフ監督のジプシー3部作 その2弾 「Latcho Drom [1993]」→ラッチョドローム→いい旅を。 「Les Princes(1982)」「Gadjo Dilo [1997」 この映画はロマ、ジプシーの映画。 (ロマ、ジプシーは呼称はどちらでもいい。 本人たちは気にしてない。他に本人たちが使ってる適切な言い方あったけど忘れた) ジプシーの11世紀くらいから始まる千年の歴史と軌跡。 長い長い流浪の旅を1時間40分にまとめた映画です。 監督自身もロマ(北インドのロマニ系に由来するジプシー)のルーツを持つ アルジェリア生まれの監督です。 出ている人もすごい! 監督:サリー・ポッター耳に残るは君の歌声でも出てて、 ジプシーキャラバンでジョニーデップも好きって言ってた、 世界的人気バンド、ルーマニアのタラフ・ドゥ・ハイドゥークス、 キース・ジャレットやサン・ラーがほめて、 あのジェネシスのピーターガブリエルとの共演で知られ、 ジャンゴ・ラインハルトの最も忠実な後継者といわれるギタリスト、チャボロ・シュミット。 (僕のスウィングっていうガトリフのほかの映画にも出演。) 魂震わせ系フラメンコ歌手ラ・カイータなど 広いくくりでのジプシー音楽のスターが、きら星のごとく登場しています。 そんなミュージャンを迎えながら、千年の旅は進む 諸説ある部分もありますが、ジプシーは11世紀ごろに インドのラジャスタンから、エジプト、トルコ、ルーマニア、 ハンガリー、スロバキア、フランスを経て、スペインのアンダルシアにたどり着くんですよ。 この映画は1993年の映画 ジプシーは文字を持たずに口伝え、とか歌ですべてを伝承してきている らしいから、この25年でもうこの映画の中でしか 聴けなくなった音楽も存在しているかもしれない。 そういう意味でも楽しんでほしい。 この映画がそれまでの音楽ドキュメンタリー映画と違うのが、 セリフ、ナレーションをほとんど一切使わずに、 音楽と歌と踊りの「映像」だけで、 1000年の歴史を描いていること。 結構本物のロマの普通の人みたいなのもたくさん出て ドキュメンタリーっぽくなってる→ でも用意周到に計算されたカット割りがドキュメントじゃないことがわかる。 歌ってるシーンが多く出てくるけど、 その歌詞も字幕ほとんど出ない。 基本ほとんどない。 最初のラジャスタンとか、 トルコとか移動していくが、 確か、歌、踊り、音楽が変わるだけで、 今どの地に行ったのか、その当時何があったのか一切語られません。 それがまた凄い。 でも移動するたびに、人も歌も踊りも変わっていく。 どの地に行っても共通するリズムはあるけれど、 各地域に移動するたびに音楽が微妙にその土地の音楽の影響を 受けているところも面白。 踊りも少しずつ変わっていくのも面白。 実際ジプシーがどういう経緯で大陸を流れて行ったかというのが 理解じゃなく体感できるんですよ。 ナレーションとか入ると「あーこうなんだ!」って頭で理解することになって、 途端にお勉強になっちゃうんすよ。 脳が。あー、それくらいの時代か。あー。そういう社会情勢かー。 あーだから移動したかってなると。 もう、自分の体験じゃなくなってしまうんすよ。 いわゆるお勉強しちゃだめなんです。 とあるサイトによると、 ラジャスタンでは歌は神とともにあるみたいな歌、 「家族が恋しい、家族のもとに帰る」みたいな内容、 あと祝詞というか、愛してるとかお祭りのような。 それがヨーロッパに入ると、 呪われた宿命をうたう歌詞になり 「生きる時間の全てを追放し放浪する」、 「わたしたちの旅を終わりにしてください」といった内容になる。 腕に囚人番号の刺青のあるおばあちゃん。アウシュビッツにいたのか? その生活をうたう。 スペインだと。 歌や踊りを楽しむ感じ。でも物悲しいフラメンコ。 この映画の、テーマは生きることだと僕は思ってて。 勉強することって生きることじゃなくて。 生きることそのものが勉強すること。 だから、記憶とか記録とかすることも大事だけど、 それよりもこれを見て、どう心が動いたかを知り、 それで自分の心の形の一部を知れるのがこの映画いい! 料理の作り方だけ読んでも料理はそこまでうまくならないというか。 ジャージーボーイズ見てもフォーシーズンズの物語を体験するだけ。 フォーシーズンズであることを体験できない。 でもこれは言葉で極力説明しない分すごく体験に近い映画なんです。 客観的なナレーションが着かない分、この映像が自分の体験に近くなるんです。 文化の変遷、民族が移動すること、千年の時間が体験・体感できるんです。 もちろん 「何にも所属しない生き方って何だろう」とか 「故郷がない民族」ってなんだろうとか。 色んなことを思うんですが。 (余裕あればテンポ落として話す) 僕が見た当初一番強く思ったのは。 人間と音楽の関係について。 ジプシー音楽って、生活なんですよ。 歌詞もなにもかも。道具もボロボロだったりするし。 生まれてこの方、一番最初に僕が親しんできた音楽は、 ロックもポップスもジャズも商品としてのものだった。 そのあと、魂を揺さぶるということ、 その人の人間力だったりが音楽を通してみえてくるわけですけど。 それでも、ショーとして、特別なものが音楽だったんです。 人を楽しませることが前提の音楽なんです。 それってやっぱりどっかで商品というか日常じゃないんです。 少しだけ聞いたクラシックも、 昔から宮廷で作られて聞かれてきた選ばれた人の音楽っていうイメージで。 今でもコンクールとかあるし。 音楽ってのは楽しいし必要なものだけど、特別なものだったんですよね。 こうCDを買って、聞いてずっと聞いて趣味でバンドやって、 プロでバンドやって生活の中に音楽が溶け込んでる人はいると思うけど ジプシーと音楽っていうのは 生活そのものが音楽、生きることが音楽、もっというと、 その人自身が一つの音楽なんです。 この映画民族が1000年移動してる様を捉えた映画であるとともに、 音楽が1000年移動しているっていう映画なんす。 その感じがたまらなく好きなんです。 (ノリで言葉思いつくままに) 踊りと歌、音楽、 そして技巧、カット割りを駆使した映像とういう詩が入ってきて この映画は成り立ってる。 心がどこに向かうのか知ってほしい。 知識じゃなく体験としての一つの民族の1000年を知ってほしい。 音楽と自分との在り方を探るのもいい。 ロックだけが魂を震わせるわけじゃない。 音楽は人生だ。そして人生も音楽だ! 人は一つの音楽、世界は一つの交響曲。 これをこの映画から教わりました。 補足 ケルト、ファド、ブエナビスタのキューバ音楽はそれに近い。 ブエナビスタの映画との違いはライブハウスとか出てこない。 現代のショー的なサクセスストーリー的なものは出てこない。 ※似た言葉・嵌まれば話す※ 音楽とともに生きるじゃなくて、 自分たちはそれぞれ一つの音楽だって感覚。 1つの曲一つのバンド、グループ、ジャンル、 ジプシーにとって、音楽は自分たちが生きる手段お金を稼ぐ手段でもあるけど、生きることそのものでもあるし そういうことすら考えないくらいそこにあるもの。 10月6と7にのことについて。FBで書いた文章を転記。
今日と明日行われてるパフォーマンスの演出をしてます。 美術館で、展示されてる絵と踊る、絵の登場人物と共演するという実験的な取り組みです。 今、一回目が終わりましたー! このパフォーマンスのリハーサルをしながら強く思うのは「絵がしあわせそうだな」ってことです。 見られることって幸せです。 見られるためのものを創ったのであれば。 絵はもう何千年も黙ってるけど 絵だって見られると、話しかけられると、 喜んでる。気がする。 今回の作品は、うまくいくと、いつもは私たちに見られてばかりいる「絵」の「自画像」を「人間が描いている」ように見えたりします。 絵の自画像を人間たちが描いている。 絵ももちろん見られてはいるけれど。 観ていて、創っていて、 そういう印象が凄く素敵です。 グッとくるポイント。 人間が描く絵の自画像。 絵は人が創るけど、完成した絵は、作者の手を離れて独立した宇宙に浮かんでるように僕には見えます。 みられることに特化した小宇宙。絵画。 絵画の起源は影だそうですね。 プリニウスによると。 今回は期せずして、絵と影のバランスも素敵な作品になりました。 偶然ですが、絵の起源から、絵を見ることを探すようなパフォーマンスになりました。 絵を踊る、人が踊る、影と踊る。 影が踊る、絵と踊る、人と踊る。 人と踊る、影を踊る、絵が踊る。 絵をみているとき、人間の身体に一体何が起こっているのでしょうか? 最初に絵を見たときの感動。 もしくは大好きな絵に出会ったとき、出会って「しまった」ときの体の不確かさ、心の消滅、明滅の仕方。 絵を見るってなんだろう? 今回は、一人のパフォーマーが絵を見るときに自分の中に起こったことを拡張させて、誇張して、表現していくカタチをとりました。 極私的な感覚をブラッシュアップさせて、それによって「絵を見ること」を観客がパフォーマーを通して追体験していく。 だから、パフォーマーの絵の見方で「絵を見る」ことになるんですが、 「私ならこうみるな」とか「私とは違うな」だったり「私も絵をみるときこうなる」だったり「自分が普段絵をどう見ているのか」も浮き彫りになっていく。 それも趣深いです。 見ること。 絵をみるってなんだろう? 絵と対峙する全ての起点は見ること。 見ることは、対象との距離を測ることでもあります。 例えばこの絵は自分のことなのか、それとも全く違うことなのか。 絵って、みて、心が動いたりするけど、こんな感覚始めて!ってなったりすることもあるけど、 その絵をみて心が動く場所は最初から自分の内側にある気がします。 まだ出会ってない絵でも。その絵のための場所は最初から自分の内側にある。 みなさん壁画は好きですか? ラスコー洞窟、アルタミラ洞窟とか。 僕は好きです。 抽象的な表現だけど、絵を見ることって「マックラな大きな洞窟の中を自分の目という光だけを手に歩く行為」でもあると思うんです。 そして、絵「ごと」に、自分の内側に洞窟があるような気がします。 人間の中に、最初から絵と対峙できる空間としての大きな洞窟が、絵の数だけは少なくともあるんじゃないかと思います。 もちろん、全部の絵にアクセス出来るわけじゃ無いけど、アクセスして、深くなにかを感じた絵、これから感じる絵の数だけ全て、自分の内側に洞窟がある。 地図も何も渡されていない洞窟の中を、 目だけを頼りに歩いていくといきなり大きな絵が現れる。 それは、とてつもなく呪術的なものだし、根源的なものだし、絵をみたことがない人は絵を見るってことだけで圧倒されてしまうんじゃないかな。 もし、人間に言葉がなかったら絵のことを言葉にして整理して逃げてしまうこともできない。 そんな感覚を知覚できたらなぁと思います。 絵を見るって、洞窟の中に住む龍に会うみたいだって感じがします。 洞窟の中を照らすと大きな龍としか言えないわけのわからないものがいた。 優しいか優しくないかまだわからない。 分かり合えるか分からない。 分かり合えるとかじゃないかもしれない。 龍が住んでいる、なにかの息遣いのある洞窟。 龍(絵)に出会う前は、龍がいないから、その洞窟が自分の中にいくつあってもあまり意識することはないけど。 その龍(絵)が自分の中に帰ってきたら、その洞窟はとてつもない存在感を醸し出してくる。 絵は龍! そして、絵は一つの「意味」。 意味とは言葉にならない、「それ」を見たときにしか感じない、湧き起こらないなにかです。 もし、絵をみたとき「言葉」をしらなかったら。言葉にすることもできやしないから、ずっとぐるぐるぐるぐるムネの中で何かが渦巻く。大きな何かわからない、総体の見えない何か。 それって僕のイメージだと龍に近いんです。 ただ、自分の目、思考、視点という、ロウソクやランタンの灯りのような不確かなもので照らし出される確かな世界のカタチが絵にはあって、それを通して、自分の心の中にこんなに巨大な穴がいくつもあいてたんだ、みたいなことを感じて貰えれば幸いです。 1つの絵に出合うために1つの洞窟にいく。 自分の目というランタンを持って。 そこはどんな洞窟なのか。 絵は内側にあって。鑑賞が終わっても。コチラが閉じない限り、その洞窟は閉じない。 絵を見るときって一体なにをしてるんだろう。 人に何が起こっているんだろう。 まだまだ探りたい。 いろんな角度で探したい。 良かったらまだ明日もやってるんで来てください!明日僕はいませんが。 作品がお迎えします。 今日の夜の回は居ます。 あぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!1 絵を見るって面白いなぁ。 今日はこの後18:30から。 明日も、16:00,18:30で、末広町でやってます。 さよならに、塩と胡椒という展覧会で、肌理/under my skinというのがパフォーマンスのタイトルです。 ![]() 来週水曜日19日から、演出助手として参加しているカンパニーが本番を迎えます。 踊る熊谷拓明カンパニー 『上を向いて逃げよう』 という作品です。 ジャンルは「ダンス劇」というもので、主催である熊谷拓明が ここ6年ずっと続けている、彼独自のジャンル・表現形態です。 表現形態というとなかなかかしこまってますが、 ダンス劇を簡単に言うと、 「踊りながらしゃべる」 「しゃべりながら踊る」 そういうジャンルです。 ただ、一言に踊りながらしゃべっていても、しゃべりながら踊っていても「ダンス劇」にはなりません。 言葉と踊りがするするとまじりあい、踊りでもない、言葉でもない部分が積み上がっていって、頭でも身体でも理解でき、 頭でも身体でも感じられて、不思議なことやってる部分もあるのに、自然と全身で違和感なく受け止めて感動してしまえるのが今僕が感じているダンス劇です。 お芝居だけでもダンスだけでも届かない新感覚の感動がある。 やってる人間が感動があるっていうとなんか嘘くさいけど、 泣くとか泣かないという感動ではない部分での新しい感覚がダンス劇にはあって「あっ知らないもの見てるのになんか知ってる。でも知らない」っていう不思議な味わいがずっと随所にあります。 新しいジャンルというのはわかりにくく理解しにくかったり、とっつきにくかったりするものですが、これはわかりやすすぎて、するすると全てがスムーズに進みすぎて、何が新しいのか逆に分かりづらいくらいですw 僕は言葉の人として、お芝居側の人間として、 言葉と身体のバランスのとり方を、熊谷の理想を形にするためにはどういうところで何をチューニングすればこの作品やジャンルにとっていいのかということを探っています。 嫉妬するくらい面白い作品になってきています。 観に来てほしい。 言いたいことは「観に来てください!」ということなんですが、長々と書かないと後悔しそうなので書きました。 たいていの物事が昔より身体を動かさなくてもできるようになって、いろんな物事や世界との距離が縮まって、身体というもの、身体性というものが希薄になっていると僕が感じる今だからこそ、 誰でも言葉で発信出来て世界とつながれる、いつでも自分を発信できて、たくさんの言葉があふれかえっている今だからこそ、この作品を見てほしい。 ダンス劇「上を向いて逃げよう」が紡ぐ世界を見てほしい。 そう思います。 踊り、言葉、身体を繊細なバランス。まだ自分が知らない感情が心に湧くと思うんです。 「久世がそこまでいうならどんなもんじゃい!」という気持ちでもなんでもいいので、時間ある方、見に来てください! チケットは下記より。もしくは僕に連絡くれても構いません。 ☆チケット絶賛発売中☆ ダンス劇『上を向いて逃げよう』 2018年9月19日(水)~23日(日) @D-倉庫 ◎スケジュール 19 日(水) 19:00開場/19:30開演 20日(木)・21日(金) 14:30開場/15:00開演 19:00開場/19:30開演 22日(土) 13:30開場/14:00開演 18:00開場/18:30開演 23日(日) 12:30開場/13:00開演 17:00開場/17:30開演 ◎チケット料金(全席自由) 前売り 4000円 当日 4300円 学割 3500円/各公演10名様まで (前売りのみ。当日学生証の提示をお願いいたします。) ※学割を希望の方は、必ず踊る『熊谷拓明』カンパニーの メールサービス(下記③)よりお申し込みください。 ◎チケット取り扱い(7/19より) ①e+ イープラス [PC/携帯] http://sp.eplus.jp/sys/T1U14P002266357P0050001 ②peatix https://peatix.com/event/410007/view ③踊る『熊谷拓明』カンパニー odoru-kumagai@e-mail.jp (お名前、ご連絡先、希望日時、希望枚数、割引の有無を記入の上送信下さい。 スタッフからの返信を持って予約完了となります。) ~キャスト・スタッフ~ 作・演出・出演 熊谷拓明 出演 松田尚子 原田茶飯事 岡本優(TABATHA ) 照明/山口明子(Theatre Kanpany ) 音楽・音響/余田崇徳 衣裳/山田いずみ 舞台美術/上領大祐 楽曲提供/原田茶飯事 演出助手/久世孝臣 舞台監督/菅隆司(Theatre Kanpany ) 宣伝美術/タラコデザイン 宣伝写真/鈴木ななみ 舞台写真/大洞博靖 舞台撮影/SASHAnimato メイキング映像/鈴木ななみ 制作/水谷亮子 後援/『上を向いて逃げよう』制作委員会 企画・制作/踊る『熊谷拓明』カンパニー 僕とパンツとトンプソン終わりました。 寂しい。寂しいなぁ。 何かを始めると、終わっちゃうのが、始めることの良くないところだよな。 終わらなきゃいい。 もちろん正確には今回経験したことすべてが僕の中では息づいてて全く終わらず、 僕のものになってるんだけど。あのときのあの瞬間がそのままの形で 抱えられるわけではなく日々移ろっていくものなので、 やっぱり終わっちゃったら寂しい。 今回は人生初の再演でたくさんチャレンジしました。 ゼロから演技や見栄えを組み立てなくていいので、 外側のパッケージを頑張ったんですがそれでもまだまだ至らないことばかりで笑えます。 精進します。ペコリ。 それでもここが僕の現在地。愛すべき僕の場所。 この作品は絶対に自分の現在地から逃げられない作品です。 だから、即興の要素を許容するつくりにしました。 今回再演に当たって一番意識したのは「嘘をつかないこと」です。 どんなにふざけてるシーンでも嘘をつかない。 物語のピークで感極まってた方がいいいいシーンでも「感極まってた方がいいから感極まる」 って方向にもっていかない。自分が感じたものを強く膨らます。 感極まりそうなシーンですごく冷静でもいい。 初演は、自分たちの現在地がそこだったから嘘の入る余地がありませんでした。 あまり。 でも再演をすると10か月前の自分たちとは違うので、初演の現在地からずれてるんです。 その現在地をそのままみせつつ 「あれ?あそこで感動したのに、森君と久世の言葉の言い方全然違うからあっさりして感動しない」 ってところはきちんとそのまま隠さず出して、 今の現在地を出して、それを楽しんでもらう。 なので、セリフも森君にぎりぎりまで「言いにくいセリフ、気持ちがわからないセリフはだめだしなくても聞いてきてね」って 言いました。一つでも多くの最後まで嘘をなくしたかったから。 そして、80分かけて僕たちにしか行けない場所に行きました。 完売満員御礼のお客様の前で、 「今は二人だけだからここで言っておくね。またやりたいなと思ってるし森君の踊り好きだよ」 みたいなセリフが25の昼公演に出てきました。 普段でもいえるけど、普段だとあそこまで言えない。 同じ言葉でも含まれる意味と空気の数が違う。 お客さんにみてもらいながら80分かけた舞台上でしか言えない言葉でした。。 あそこでは二人きりでした。もちろん、お客様は見守ってくださっているけど、 見守ってくれていないと絶対にあそこにはいけないけど。 でも、舞台上は10センチくらい時空がずれていて、二人だけな感じがしたんです。 またあそこに行きたいなぁ。ヒリヒリしたいなぁ。 それを見ててほしいなぁ。 そんなこんなで長い間お騒がせした僕とパンツとトンプソンが終わりました。 ご来場いただきまことにありがとうございました。そして、久世に巻き込まれてくれた 全ての方々。ありがとうございました。そうあなたです! 最後にオープニングの映像と途中で使った映像を貼っておきます。 オープニングは森君がつくりました。 途中の映像はデザインの辻統太がつくりました。森君もだけど。 辻君はデザインだけじゃなくてこんなアニメーションまで作るなんてびびるわ。 ![]() 暑いです。暑いです最高です。 熱中症になってもいいから一番暑い時間にランニングしたいな。毎年そうやって、身体にその年の暑さ刻みこんでます。 身体を甘やかしすぎるのもダメなので。 「絶対すぐ死ぬのが人間やで」と身体に伝えないと、僕はすぐ甘えたり、さぼったりしてしまうw でも、今年はそれが出来ない。 本番が重なっているので誰かに迷惑かけられないのです! そして、今年の私は、大好きな海をとてもとても我慢して までお芝居の本番をこの時期に入れました! いつにもまして身体に今年の夏を刻み込むため! だからそこに向かって一直線です。 公演まであと18日。 今回は始まる前から自分にとって初めて尽くしの公演です。 改めてご紹介を。 僕とパンツとトンプソン!という公演を、 SOOO dramatic!という劇場で、 http://sooo-dramatic.com/ 8月24日(金)19:30 8月25日(土)13:00 17:00 前売り3500円 当日4000円 こんな日程でやります。 夏の終わりに夏を凝縮させておはなしをやります。 来てください!もう24日はだいぶ少ないです! そして、今日は「僕とパンツとトンプソン」、クラウドファンディングの話をさせてください。 この作品、クラウドファンディングを行っています。 こちら https://motion-gallery.net/projects/mepants-and-thompson 公演までは18日。 クラウドの残りの日数が、17日。公演前日に終わります! https://youtu.be/yR9seB33Zo4 クラウドファンディングを始めた理由はたくさんあるのですが、一番は「応援してくれる人がいるならば予算の関係で出来ないと思ってた面白いことをやりたい」 ということと 「舞台を観て終わりじゃつまらない」というところに尽きます。 この2年、本当にうれしいことに、WEBの番組に毎週出演するようになって、「僕を知っている人」が少し増えました。 日本中に増えました。ありがたいことです、 今まででは考えられないことです。 その中で「舞台いきたかった!」という声や「なんで東京だけなんだ」、「応援しています」という人の声も少なからず届くようになりました。 だったら、応援してもらえるような場所を作りたいと思いました。でもただ応援して頂くんじゃつまらないなと。 どうせなら緩やかで規則のない変なコミュニティがつくれないかなと思いました。 今回のクラウドファンディングはその第一歩です。 僕は舞台を作ります。 舞台を作ったら見に来て欲しいと思います。 楽しんでもらいたいし、どういう作品に映ったかそこから何を思ったか話したいです。 舞台そのものと、それを見てどう思ったかコミュニケーションをとるところまでが舞台だと思っています。 作る→観に来てもらう→おしまい という流れで、いったん作品の鑑賞終了とともにコミュニケーションを終わらせたくないなと最近思うんです。 循環、円環の形にしたい。 それと、僕は、最終的に人自体が作品だと思っているので、僕はずっと終わらない。鑑賞され続けてもw もちろん、作品の感想はその方個人のものです。 コミュニケーションといっても、何か「この作品はこういう作品なんだ!」と見方を強制したり、語ることを強いたりなんて野暮なことはありません。 僕の作品を気に入ってくれる人、作品は好きじゃなかったけどテーマにはどこか思うところがある人、観れなかったから映像だけでも見たい人などなど、色んな鑑賞者、そして鑑賞希望者とともに、作品の発表期間外でも、緩やかに時間を重ねたいなと思ったんです。 それも、自分のことをもっと知ってもらえて自分にしか出来ないようなカタチで。 そうすることで、こちらには、皆さんの考えていることなどから刺激を直接受け、より豊かな制作のサイクルが得られます。 僕の作品作りに一番大事なものは刺激です。そして、自分にとって一番刺激的なのは対話です。自分とばかり対話しがちなところを緩やかに繋がっている部分があればすごくいい刺激が得られるんじゃないかなと。 そして、鑑賞者の方はちょっと今までの生活範囲からだと得られない角度からの思考を持ってる人間と緩やかに日々を共有することで、鑑賞者の方もまた今までとちょっと変わった豊かな生活になるんじゃないかなと。 全体を包括したり、救えたりするようなセーフティネットのような思想はもはやなく、色んな自分の好きな小さいコミュニティにたくさん参加して、狭くても落ち着ける様々なコミュニティの内側で、様々な色の人とその時々そこの色の刺激を受けるスタイルが今に合ってる気がしていまして。 そのため、今回は、詩人の僕にしか、ダンサーの森政博にしかできないリターン(支援いただいたお返し)を用意しました。 とっつきやすくするために今回はギャグテイストのものが多いですが、この作品を見て、詩とダンスのことをもっと知りたいという人にとっては、言葉の世界の奥行きの深さ、踊りの世界の懐の深さを、公演で感じた以外の部分で公演後にもお届けさせていただきます。 言葉って、踊りって、こんなことができるんだと思っていただけると思います。 そんな感じの僕とパンツとトンプソンクラウドファンディングプロジェクト! 色んな人たちと緩やかに繋がっていきたいな。 激しく毎日志をともにするのではなく、興味のあることをしている人たちと緩やかに自分たちの日常をシェアするような感覚で。 遠くに住んでて舞台に来れない方も、予定があわない方とも、今後、この公演や久世孝臣という人間を通して、ゆるい膜で包まれた自由なコミュニティが出来ればなと。 学びたいときに学べて、ふざけたいときにふざけられるようね。 作品を観て終わりってところから一歩踏み込んだコミュニケーションがこのクラウドファンディングを通して出来たらなと思っています。 興味を持ってくれている人や社会と公演からスタートして、公演以外でゆっくりとコミュニケーションをとっていけるこれが第一歩。うまく、楽しくできますように。 クラウドファンディングはこちらから https://motion-gallery.net/projects/mepants-and-thompson 公演チケットはこちらから https://ssl.form-mailer.jp/fms/b63bc72e386189 僕にとってとても嬉しい報告です。人生初。
昨年千葉で上演した「僕とパンツとトンプソン」という作品を8月に再演することが決定しました! 人生初の再演。 今までは新作にしか興味がなく、また、関係者各位はご存知のことと思いますがw 再演するには手間がかかる作品が多かったので再演ってあまり現実的に考えてきませんでした。 あまりにも人生は短いし、新しい情報は駆け巡ってくるし、自分を取り巻く状況は目まぐるしく変化していく。 そんな時代だと再演するより新しい作品をという気持ちでここまで来たのです。 でも去年この作品を上演した時、そこに確かに「二人の今」が乗っかっていました。 物語でも、素でもなく、作品の中で作品を通して二人の物を作る人間の今の葛藤と喜びが浮きぼられてて、 それを通して、何かしら内臓がもぞもぞとするような時間が流れたと自分では感じました。 自分達がきちんと作品に乗っかると、古いとか新しいとかではない類の、 少なくともしばらくは時間という物差しから解放される可能性のある作品になるんだなとも感じました。 出演者ーズハイやらなにやらでそう思っているだけなのかもしれません。 そうそうこれは、所謂、二人芝居です。 僕も詩人として舞台に出て演技をします。 それを演出家としての自分が演出します。 なんだか大変で、大変楽しい。 ずっと二人の今をのせ続けることが出来れば、ずっとまっすぐにそういうことが出来れば、 少しずつ脚本を変化させながら、定期的に上演したい作品になるんじゃないかな。 その可能性を探る意味での再演第一弾。 出演者は二人。コンセンサスも取りやすく、意見もちゃんと衝突させて、 きちんと今の二人の立ち位置、軸というのを浮き彫りにしやすい。 むしろ、二人だからこそ、コミュニケーションを諦めず、 いい形で作品に反映させられるのでしょう。とも思います。 三人以上だと誰かが自分を押し殺す。じゃないと物が創れない。 二人だと押し殺したら物が創れない。 初演は1日しか上演できませんでした。 もっと多くの人の目に触れたいし、もっとこの作品のパートナーである森君と舞台上で会いたい。 こういうどろどろとした前向きな純粋さは下手したら青臭くて怪我をする可能性もある。 だからどの舞台でももてるものではありません。少なくとも僕は。 なんというか。とても再演に対して前のめりにワクワクしています。 観に来てくださいね! 皆様8月24日金、25日土、空けて下さいね! 場所はこちら、入谷駅すぐ近く、もしくは鶯谷から徒歩8分の、 SOOO dramatic! http://sooo-dramatic.com 公演時間・チケットフォームなどはしばらくお待ちを。 アツい夏約束します。 夏の終わりこの話に完璧な時期に最高の場所で再演できて嬉しい。 どう初演と変えようかワクワクが止まらない。 前回観てても初めても絶対楽しいトンプソン!! あらすじの載っている去年のチラシも同時にアップしておきます。 あらすじの載っているのは去年のですからお間違いなきよう。 今年は、8月24(金),25(土)です! 何で白黒からカラフルになったのかも、またお伝えすると思います。お楽しみに! #僕とパンツとトンプソン |