僕とパンツとトンプソン、物語の後半に、ダンサー森政博君が一人芝居をするシーンがあります。
およそ7分ほどの時間。 そこで彼の口から出る言葉は僕が描いた「トンプソンと街について」という当時まだ未完成だった詩を 彼が一番自分が信じられる形に書き換え、構成しなおしたものを採用しました。 完成度としては7割くらいでした。 僕がその詩を完成させてしまうと森君も手を加え難くなる。 何より、自分のことを演じるということから遠くなる。 今回は自分を客観的に見て演じてみながら物語と現実の狭間に二人で立たなければいけなかったので、 最も大事なこの場面で使う言葉は、きちんと踊りに対しての思いを自分の言葉で踊って欲しかったのです。 だから、未完成の状態で彼に見せて「森君。書き直してきて」とまぁなかなか言えない無茶なお願いを してみました。 森君は見事に期待に応えてくれて、とても好きな場面になりました。 そして、僕も森君の完成させた「トンプソンと街について」を見て、自分の「トンプソンと街について」 を完成させました。 森君が完成させたものと僕が完成させたもの。どちらも「トンプソンと街について」です。 読み比べていただくのも面白いのではないかと思い、公開することにしました。 「トンプソンと街について」 仕上げ:森政博 下書き:久世孝臣 人間のやってることは人間にしか理解しえないし、 人間には人間の時間が流れている。 猫には猫の時間とルールが、 鯨には鯨の時間とルールが、 もちろん僕たち「ダンサー」も。 それぞれ自分達の時間とルールを持って生きてる。 自分で自分の街の地図を描く。大体このくらい。 両手で抱えられるくらいの大きさしかない。 東には月があって、ごつごつしたクレーターの底で地球を見ながら星達と踊れる場所。 西には大きな壁があって、そこに棲みつく魚達と優雅に踊れる場所。 北には空へと続く階段があって、雲の上で重さなんか感じずに踊れる場所。 南には全部がブリキのおもちゃで出来た通りがあって、そこは音楽にあふれた賑やかな場所。 街の中央にはあこがれの街、エンターテインメントの街ニューヨーク。 そこにもやっぱり沢山のダンサーがいて、どのダンサーに聞いてもトンプソンが一番だってことになってて、そんな奴らと一緒に踊って、 今夜も「トンプソンだったね」なんて話をして。また踊る。 両手で抱えきれても、一生じゃ踊り切れないんじゃないかって位の大きさに感じる自分の地図。 その街でずっと長いこと踊り続けている、みたいな感覚で生きてる。 たまに、自分が自分の地図からはみ出る瞬間があるんだよなぁ。 地図のどこにも載ってない場所で踊ってる様な感覚。その瞬間は無我夢中で、我に返る頃にはもうどこにいたかわからない。 どうやってその場所に行ったか?その場所で何を踊っていたか? 思い出そうにも記憶はまばら。 でも間違いなく手の届く距離にトンプソンがいて、最高に楽しくて「またすぐその場所に行きたい」って思うんだ。 そうなるともう、寝ても覚めてもトンプソン。 トンプソンは伝説のダンサー。 トンプソンはダンスはうまくないけどめちゃくちゃ可愛い一目惚れした女の子。 トンプソンはもう一人の自分。 トンプソンはうまく踊れた夜のこと。 トンプソンは何でもいい。 自分がもっと踊るための理由。 自分が踊る為のすべて。 僕とパンツとトンプソン。 さて、今日は何を踊ろうか?(照明・レーザー) グリーンサラダのシンプルな素直さを踊る。 フランスパンが乾燥しないために踊る。 太陽に毛布を掛けるような気づかいを踊る。 太陽と同じスピードで自転車をこいだら昼間が終わらないんじゃないか説。 それでは聞いてください。「太陽と同じ速さで踊る僕」 シュンシュンシュン!!!「速くて見えないだろう!!」とか言ってる。(笑) 僕の残した踊りは、この後誰かが踊るのかなぁ? いや無理だろう?だって僕が踊るこの瞬間は、周りなんて関係ないくらい圧倒的に自分のものだし! そもそも僕と同じ地図の上で僕と同じ踊りをできる奴なんていないんだもん! 残さなきゃ。 刻まなきゃ。 残された時間。あと何か月?あと何週間?あと何日?え?今日で最期?とか考えたら、なんだか泣けてくるけど、それはそれでトンプソン。 (動かない体ほぐして) こうやってさ動かなくなっていく体を見てもトンプソン。 ほら、毎日トンプソン。 できれば「明日」もトンプソン。 だったな。って思いたいんだ。 (終) 「僕と街とトンプソン」 久世孝臣 自分で自分の街の地図を描く。 大体このくらい。(動いて円を描く) 両手で抱えられるくらいの大きさしかない。 人間がやってることは人間にしか理解出来ないし、 人間には人間の時間があるように、 猫には猫の時間とルールが、 鯨には鯨の時間とルールがそれぞれあるように。 僕たちの世界には僕たちにしか分からないルールがあって、 その中で僕たちの時間が流れている。 僕の地図。僕の描いた僕の住んでる街。僕の踊る街。 街の東には月があって、 ごつごつしたクレータの底で 地球を見ながら星と踊れるなかなかいい場所。 西には大きな壁があって 壁にはたくさん魚が住んでいて 楽しく躍れる結構いい場所 北には空に昇れる階段があって 重力なんか気にせずに雲で踊れて、 南には全部がブリキのおもちゃで出来た通りがあって、 音楽に溢れてて賑やかに踊れる相当いい場所。 街の真ん中にはニューヨーク。 やっぱりそこにはたくさんのダンサーがいて、 どのダンサーに聞いてもトンプソンが一番だってことになってて。 そんな奴らと一緒に踊って、 今日の夜はトンプソンだったねなんて話をして。また踊る。 両手で抱えきれても、 一生じゃ踊りきれないんじゃないかなってくらいの大きさの 自分の描いた街。 その街でもうずっと踊ってる、みたいな感覚で生きてる。 たまに、自分の書いた地図から自分がはみ出る瞬間があるんだよな。 地図のどこにも載ってない場所で踊ってる。 世界の果て?真ん中? 世界も何もない。時間も何もない場所。そこで踊ってる。 そんな夜はトンプソンなんだな。 気付いたら「そこ」にいる。 …何回地図を書き直しても、地図には載せられない場所。 それもトンプソン。 そこに行くために踊ってる気もする。 トンプソンは伝説のダンサー、 トンプソンはダンスはそんなに上手くないけど むちゃくちゃ可愛い一目ぼれした女の子、 トンプソンはもう一人の自分、 トンプソンは上手く踊れた夜のこと。 トンプソンは何でもいい。 自分がもっと踊るための理由。 もっと踊りたい自分が踊るための全て。 僕とパンツとトンプソン。 僕は照れ屋で、恥ずかしがり屋。 それもいいけど素直にならないと手が届かない場所がある。 そんな気持ちもトンプソン。 できれば明日もトンプソン。 昨日は踊ってたっけ? あれは一昨日だっけ? さっきのことだっけ? もう何年も何年もずっと踊ってる気がする。 何年も何年も。そんなに生きてないのに。 何がほんとのことだっけ?何で踊ってるんだっけ? これって、もしかしたら、 ほんの短い時間のとても少しの間だけの話かもしれない。 今日は何を踊ろうか。 グリーンサラダのシンプルな素直さを踊る。 フランスパンが乾燥しないために踊る 太陽に毛布を掛けるような気遣いで踊る 太陽と同じスピードで自転車こいだら昼間が終わらないんじゃないか説。 それでは聞いてください。太陽と同じ速さで踊る俺。 僕の残した踊りは、この後誰かが踊るのかなぁ? 無理だろうな。 だってこの瞬間は 雑音が全部消えてなくなるくらい 圧倒的に自分のものなんだ。 あとどれくらい踊れるんだろう。 何年?何カ月? 手の届かないことはある。 何年?何カ月?何日?今日で最後? そしたら、泣けてくるけど。それもそれでトンプソン。 こうやってさ。身体もどんどん動かなくなっていく。 でも、そんな今もトンプソンなんだ。 いつでもトンプソン。 出来れば毎日トンプソン だったなって思いたいんだ (終) コメントの受け付けは終了しました。
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